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私は何処かで夫をジャッジして見下している部分があったと思う。
ジャンキーな食の好みや下品な言い回しをしたり、私の苦手な騒がしいお笑い番組をだらだら見たりするところ。
ろくに友達がいなかったり、プレゼントもなかなかくれないケチな所も不満だった。(言い過ぎかな 笑)
でもこの間気づいてしまった。

娘はクリスマスと誕生日が一週間違いなのだけれど、子どもへのプレゼントがいる·いらないで話し合っている時「俺は何も欲しくないし、どこへ行きたいとかもない」と言われた。
その時急に、プレゼントを欲しがっている自分が満たされない人で、何もいらないという夫が幸せな人に見えた。

私は何も高価な物が欲しいというわけでなくて(高価な物はやっぱり嬉しいけど)、相手が私の喜びそうなプレゼントを考える時間を取ってくれた気持ちが一番嬉しかった。
だから欲しいものでなくても私の好みだったら嬉しかったし、全然趣味じゃないものをくれるとあまり見てくれていないのかなと判断したりもした。

ある時、道端ジェシカさんがInstagramのライブで「何も欲しくない、どこかに行きたい訳でない時が一番幸せ」と言っていた。
まさに夫の言葉。
相手からの愛情のプレゼントを待っている私は、どこか心が満たされていないのかな。

きっと誕生日にプレゼントを貰わずクリスマスにサンタさんから貰っていた夫と、誕生日とクリスマスどっちも親からプレゼントを貰っていた私、家庭環境の違いもあると思うけれど。


夫は育児を手伝ってくれる方だと思う。
それでも苛立つのは、自分のことが全て終わってから子どもの相手をするという優先順位。

でもこの事からも気づいてしまった。
自分を優先することに罪悪感を感じている私に。

忖度せずに友達もいらない、年賀状も送らない、自分のこだわりを曲げない、そんな夫が少し羨ましくも見えてきた。
きっと無性の愛情を受けて育ったのだろう。

付き合い初めの頃に、幸せになれると有名なお守りをあげた時「俺、もう十分幸せだよ」と言われて、その時は惚気けた言葉だと受け取ったけれど、いつも彼はきっと今が幸せだと感じられる人だったんだ。

だからリスクをとってまで安定を壊そうとはしない、諦められる性格なんだ。
一方私は夢、希望というキラキラしたものが好きで追い求めたくなる。


2人が正反対だとは気づいていたけれど、身近な人は自分の鏡だとは聞いていたけれど、ジャッジしていたのは自分自身だったんだね。

不足感から求めるのでなく、今の幸せを感じて選択していきたいと思った今日この頃。

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