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ARE YOU(7)

私は窓に寄り添って外を眺めていた。窓のガラスには水滴が現れ、開発によって荒廃した風景が、どんよりとした雲の下で水滴と交錯している。ビルの隙間から標識のようにそびえ立つ用賀タワーは、高く、遠く、まるで平野遼の抽象画のようによそよそしかった。想像を絶したところにある美を覗き見る魅力は、自分の意識を上へ上へと向けさせる行為でしかない。私はエリちゃんにアブローチした。アプローチは自分より高い存在との必死の対決と見られなくもない。その危険な高さに立ち向かうのは何のためかとかといえば、計り知れない美が上を指して呼んでいるからだった。 
用賀タワーは大きかった。その大きさは、自分が線路のすぐ向こう側にいるのだという距離感を正確に物語っていた。立っている場所と方向でずいぶん見え方が違う。ガード下から摩天楼を見上げるような孤独を感じた時、傘を差した人の姿がぼんやりだったが見えた。門を横切り、キャノピーに吸い込まれていく。傘を畳んだ瞬間にほんのちらりだったが目鼻立ちが見えた。手はしなやかで、腰はくびれている。その人はハンカチで手をぬぐい風除室を抜けた。ひとつひとつの動作が接続詞のない流麗な文章のようだった。私は手を振った。エリちゃんは笑顔で応じた。
私が大友さんに抜け駆けしてエリちゃんをデートに誘ったのは画家になりたいという野心にカビの生えた季節だった。私はマニュアルに沿って、洒落たレストランを選んだ。前の晩に練った消化のよい話も交えて笑いも誘った。しかし、それはデートという手前の社交辞令にすぎない。熱の入った喋り方ではなかったのが、それが彼女には物足りなかったのかもしれない。彼女は口を尖らせぷりぷりとレストランの不満を言った。上品すぎるのは肩が凝るというのだ。見ると、背もたれに寄ることなく背筋を伸ばして座っている。
「次は、ジーパンでラーメンでもすすりましょうか」と私は言った。言い訳と称する提案ではなかった。それは憧れの投影された提案だった。美人と一緒にラーメンを食べるとい特権は誰にでも与えられるものではないからだ。
「えぇ、それが私の望むところです」すましていた彼女の顔が少し赤くなった気がした。 
「でも、いきなり電話してくるのにはびっくりしたわ」黒い髪を指でいじりながら彼女は私の目を意味深にのぞきこんだ。この相手を見据える眼差しには無為の挑発がゆだねられている気がした。
「うん、悪いと思ったけど」私は使い慣れた二音で構成する表現を借りて、自分の感情を説明しようとした。それはハート形に整った素朴な輪郭線の変形だった。
「悪いって、誰に?」そういって、彼女は私の顔にあらわれる苦い表情を、じっとうかがった。理屈に合う説明を求めている表情ではなかった。自分を賛美する者の苦しみを見出すのが目的のようだった。いつも変わらぬ女性のいたずらっぽい楽しみだった。障害がいかなるものかを熟知していながら、推し量る気配を露ほどもしめしていなかった。
「大友さんに、だよ」彼女の問いかけに答えようとする私の言葉に微細な意図が意識された。
「そう。ところで、マンマ君とはまだ一緒に何かやっているの?」目的を果たした彼女は、唇にパンをあてて話題を転じた。
「うん、三人で同人誌を、ちょっとね…」具体的な説明は遅れたが、それとは異なる慎みの必要性がただちに感じられた。
「あぁ、あれね、先生方からは叩かれたみたいね」とエリは私の言葉をさえぎるようにいった。
「まあね、いまも問題の渦中にはあるけど、でも何より評論のまねごととはいえ、努力に比例する反響はあったと思う」
「へぇ、よかったじゃないの」皮肉を効かせた言葉が口にされた。
「いやぁ、そんな買いかぶらないでくれよ…僕にとっては同人誌をしていたことで君と出会えたのがなによりの幸運なんだからさ」と私はなさけない目つきで訴えた。いまや私にとって言葉の言い回しなど、まして同人誌など、どうでもいいことだった。目の前の現実が重要だった。
「そう、買いかぶるって、そういう使い方があったのかしら、でもいいわ、私だってあなたに好意がなかったら、ここにこうして座っていないんだから」彼女は笑みを浮かべて私の言葉遣の誤りを大目に見ていた。
「君のおかげだよ、先生方の批判を激励とみなすことが出来たのは」眼識のある陪審員を前に私は少しへりくだった。彼女は口をもぐもぐさせて椅子によりかかっていた。 
「で、将来は評論の道へ進むの?」それが質問なのか示唆なのか判然としないところがあった。
「いやあ、僕なんかダメだよ、社会的にも、立派な人間でもないので、ね」ずいぶん前から私は評論家にはなれないと確信していた。
「じゃあ画家になるの?」絶えずその職業が心に刻まれていたので私は目をふせた。義務に対する先天的な防衛本能だった。さっきの質問は実は検査だったのかもしれない。
「美大生としては嘘でもいいからそう言わないとね」と私はいった。それは唯一大手を振って歩みを進めることのできる方向だった。 
「絵が売れて、大金持ちになったらどうする?」とエリは問いかけてきた。のんびりした私もさすがにこの言葉に胸を躍らせた。投げかけられた眼差しは私を持ち上げ約束の場所へ運んでくれそうな気がした。
「うん、毎日お寿司を食べるね」あえて、もう一つの願望は表明しなかった。しかし、その気取りのなさは好結果を生みだそうとしていた。 
「それだけ?」自己本位なのかというテストが行われた。
「それからマンションを建てて、大友さんとマンマを居候させるね」
「中々気の利いた、イイことを考えるわね」この時から彼女のよそよそしい対話の持ち方が形を変えた。
それから、ひざを崩したやりとりになった。彼女のうわべじゃない笑顔を見たのが嬉しくて、自分の話を聞いてくれるのが嬉しくて、アルコールの熱さのようなものが喉を通り赤血球が増えた気がした。その夜にエリちゃんと別れ、玄関の敷居を跨いだ私はベッドの上にドタリと横になった。そして、特殊な感情を打ち明けるのは早すぎるかと考えた。

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