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ARE YOU(13)

エリちゃん。いつも僕のことを気遣ってくれてありがとう。また改まって言うのも変なのだが本当に僕を選んでくれてありがとう。僕は、それまでのハッタリで乗り越えてきた自分のやり方がプロの世界では全く歯が立たないことを学んだ。あるいは画家としての在り方の中途半端さの清算が、今回まさに償わざるを得ない状況に置かれてしまったという感じだ。一番感じた事は自分には殆んど画家として通用する技術というものが無いということだ。そして、その事は君という彼女を得た今も変わってはいない。要するに僕は不安なのだ。君はあなたらしくないと言うかもしれないが今まで周りが何も見えてなかった自分が馬鹿のように思える。泣き言はこれ位にする。けれど同時に今のような幸せな生活に身を置く事になり、かつての武者修行的な自分を以前の行き当たりバッタリでは無く、地道な計画性を持ったやり方で取り戻して行くことは出来ないかとも思う。僕の情熱の中には画家になりたいというDNAが刻まれているのではと。

「良心のある人なら何も言わずにこの場を立ち去りますよ」と先生は私の作品を評した。
「デッサンは狂っているし、明暗もなっていない。ゴキブリだって目を洗うんじゃないの?」と言葉を浴びせた。
「これは絵かね?」
「はい、絵です…」
「へぇ、あそう、でも、この絵を前にしたらカエルだって鼻で笑うんじゃないの?」
重いハンマーで頭を打ちけられた私は、自分の将来は終わった、という気持ちだった。トラは子供を崖に突き落とし這い上がってきたものだけを育てるというが、穴に突き落とすだけでなく上からフタまでしそうな先生の試練に、私は息を止め身をよじらせて屈辱に耐えていた。
「二流だね。三流だね。どうしようもないね。それから君は眼に見えないものが見えていないね。どういう教育を受けたら」 
「お言葉ですが先生、彼が見えているか見えていないかと言われれば、それはイエスであります」
先生は薄ら笑いを止めて振り返った。ぐるりと囲むその中から一人が挙手して立ち上がった。教室は静まり返った。それは、いつになく声を張る大友さんの姿だった。 
「えぇ、何だって?」と先生は大友さんの方を向いた。
「ですから小西君は神秘的な存在の、その何たるか見えていると云っているのです」
「どういうことだね、一体全体、君は」と、うながすと 
「それは、どういうことかというと今から約三十年前、全米でベストセラーとなった『カモメのジョナサン』において、主人公のカモメは、生きるために、飛ぶのではなく、飛ぶこと自体のために飛ぶというくだりがあって、それはアチラにあって、コチラにあり、コチラにあってアチラにある、時間と空間を超越するものでありました。つまり、これこそが見えていないけど見えているという彼の、多視点のメカニズムであります」
と、理路整然とした演説が始まった。先生は横から声を出すこともままならず、両手で遮ろうした。が、どうしてどうして、暴走し始めると、止まらないのが大友さんの性分だった。それにしても大友さんの喋ること喋ること、独自の世界に入りすぎて内容は誰にも分らなかったが、何か「火」だとか「土」だとか「大別した」だとか、ある宗教のことをしきりに熱弁していた。それは「かつてユダヤ秘儀として」に始まり、しばらくは修業の具体的な叙述が続く、それが魂の段階がどうしたという話に移ると、恒例の「愛を与える者の到達するところ」ということになる。そうして、やたら主張し、解説し、補足するという彼の当然の流れに、先生は「あっ」だとか「うっ」だとか声を出すのがやっとで、しつこさが細かさについていけないという感じだった。そして、その奇怪なほど歯車の細かい演説が「それは商品ではない、あくまで排泄物だ」云々で締めくくられると、先生は声も無く膝をついた。歓声が上がった。武骨なマンマはガッツポーズを連発し、トラを征服した大友さんは僕たちの英雄になった。

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