宝物がまたひとつ 2024年8月12日の日記
8月12日、早朝にアラームをかけていた。
遠出する用も、日の出を拝みたいという欲もなく、ただ好きなひとが次にどんな世界を見せてくれるのかを早く知りたくて。陽が昇ってから情報を見ても別に変わらないし情報は逃げるわけでもないのに、そしていつしか早起きなんて苦手になっていたのに、朝5時のアラームに叩き起こされたときの高揚感は特別だった。こんな生活してるから友達に「あんたのアイデンティティは『オタク』だから抗わないほうがいい」なんて言われるんだ。
前日に投稿された情報解禁を思わせるツイートには松たか子さんの名前と並んで大好きな「松村北斗」の名があった(しかも宇多田ヒカルさんとの間に書いてあって、もし一緒だとしたらとんでもない面々だぞ…と思っていた)。
もしかしたら単独かもしれない、CMとか?だけどもし松たか子さんと共演だったら嬉しいなぁと思って眠りについた。なかなか寝付けなかった。どんな楽しみが待っているのかなぁと思うと遠足前夜の子どものように何度もタオルケットを引き連れて寝返りを打って、早く朝になればいいのになんて考えていた。
だけど気が付けば眠っていて、スマホから鳴り響くSixTONESの声で目が覚めた。
4時。まだ公式垢が出たりワイドショーで報じられたりはしていなくて、だけど新聞を読んだ人が文字に起こしてツイートしているのを見てざっくりと「映画!松たか子さん!」ということだけ察知して何はともあれめでたいなと思ってもう一回寝た。
5時。またSixTONESの声に起こされて今度こそとTwitterを開いた。
…あった。本当だった。すごい。嬉しい。そして北斗くんはなんて素敵な、美しい世界の中にいるんだろうと思った。
ずっと穏やかな光に包まれたようなあたたかな世界で、だけど「神様どうか私たちが結ばれませんように」だなんて。想いが永遠になったつもりでもそれを遂げられない苦しさとか切なさとか、一種の残酷な尊さとか。数十秒のティザーから伝わってくるどちらに転んでもおかしくないような心地があまりにも美しかった。きっと私はこの映画を、硯駈を、そしてこの映画の中で生きる北斗くんを好きになる、そう思った。
私は生憎映画やドラマに精通していない。今まで好きなひとが出ているとか周りが観ているとかそんな理由でしか映像と触れ合ってこなかった人間だ。だから今回の作品の凄さをきっと十分に理解しきれていないのだと思う。
だけどTLを覗いたら信頼オタクたちがこれは凄いことだ、と口を揃えて言っている。塚原あゆ子さん監督で坂元裕二さん脚本だなんて「見たかった北斗くん」すぎる、らしい。なるほど調べてみるとお二方とも「たしかにたぶん凄い」となる方々だ。しかも当て書きらしい。「自分はこの松村北斗が観たい」という作り手側のフィルターを介した北斗くんを観ることができるんだ。それに「一生の思い出になるような作品」として制作されていると知りさらに嬉しさに胸がいっぱいになった。
日本を代表するようなクリエイターが「一生の思い出」になるようにと願いを込めて作る物語に生きる北斗くん、言葉にしたらとんでもないな。私が好きになったのはやはりとんでもない人なんだ。
私はたとえ世界中のクリエイターが北斗くんを評価しなかったとしても(そんなことあるわけないけど)北斗くんのお芝居が好きだけど、それでもやっぱり数多の作り手から「一緒にやりたい」と声がかかることはファンとしてもとても嬉しい。…うん、とてもとても嬉しい。それに尽きるなぁ。
松たか子さんと北斗くんのコメントもとても宝物だった。松たか子さんは北斗くんについて
とおっしゃっている。「揺れているようで」「『えいっ!』と飛び込む」「勇敢な人」全部言いたいことを端的に豊かに伝えてくれている。
北斗くんはお芝居に限らず「えいっ!」と動いているんだろうなぁと思うことがよくある。その「えいっ!」に至るまでたくさんたくさん考えて、踏み出そうかなどうしようかなという不安に一旦ぎゅっと目を瞑って飛び込んでいくひとで、そうやって思考を重ねて最終的に進んでいくところが北斗くんの大好きなところのひとつだ。(慎太郎くん、気が合うね~~~!!!←黙ろうね)
だから松たか子さんの言葉が本当に嬉しかった。好きなひとの好きなところが他の人にも伝わっているって幸せなことだ。
私は「好きだ」と思うこととそれを拙い言葉で伝えようとすることしかできないし、紛れもなく北斗くんの努力の結晶であるものを私が「どう?すごいでしょう?」とひけらかすことはしたくない。
だけど、ただ北斗くんのここが素敵で私は大好きなんですと小さな声で叫んでいたことが、こちらの世界ではなくて表舞台の方によって発信されることが嬉しい。この薄汚れた世界での叫びが本人に届いてほしいわけではないし、むしろこんな世界見るなと思う。だけどあなたの持っているその素敵なところにあなたがもっと自覚的になってほしい、だって本当に素敵だから。そう常々思っていた。だから北斗くんに伝わり得る中でいちばん綺麗な形でそれが発信されたことに喜びが溢れてしまった。
北斗くん自身のコメントも大好きだった。
「怖気づく」という言葉を北斗くんがどういう意図で使ったのか、私には正確には解らない。プレッシャーとか、不安とか、やってみないと分からないところとか、そういうものが一緒くたになったであろう「怖気づく」の言葉を、私はとても大切に読みたい。いろんな感情を抱えて、ときにそれと戦って、物語を作ることに真正面から向き合って北斗くんが作り上げた硯駈を大きなスクリーンで観るのが、今からとてもとても楽しみだ。
私が北斗くんをはっきりと好きになったのは去年の冬のことで、まだ北斗くんの過去の出演作をすべて観ることはできていない。だから私が彼のお芝居との向き合い方とかお芝居そのものの変化を語ることはできない。(たとえすべてをリアルタイムで追っていたとしても何も語れないと思うけれど)
だけど北斗くんはお芝居が好きで、愛する作品がたくさんあってそこに敬意もあって、いつかその世界で生きられたらという願いも控えめに、しかし着実に大きく抱き続けている、ということは知っているつもりだ。
北斗くんが丁寧に言葉にして教えてくれるから。北斗くんが出演してきたたくさんの作品を通してそれをひしひしと感じるから。そして北斗くんが毎作品全身全霊で向き合って、ぶつかって、その役として感じたことやエネルギーをそこに残して作り上げたということを、作品から、そしてインタビューとかメイキングとかから感じることができるから。
私がそれに名前をつけることはオタクの傲慢だろうが、やはりそれは北斗くんの「努力」だろう。簡単に人の努力を評価することは苦手だけど、でもやっぱりこれだけ次につながる結果を残してどんどん先に進んでいく北斗くんのその姿勢は「努力」だと言わざるを得ない。
もちろん私は北斗くんの努力家であるところも大好きだ。そしてその努力を表に簡単に見せないところも。私たちが北斗くんの努力の詳細を知るのはいつも時差だ。今回も、もう撮影は終わっている。
毎日頑張って人として、アイドルとして生きていること自体がとても大きな努力の上で成り立っているのだろうということは五百も承知だ。私が昼過ぎまで寝ててそこから起きてもソファとお手洗いの往復しかしないで夜を迎える間に、北斗くんはたくさんの人の心を動かすポテンシャルを持ったエンタメを作ることに必死で向き合っている。(私、もっとしっかりしな)
だけど私は、この努力の詳細を知るまでの時差がとてつもなく愛おしい。あとから「あの時に撮影していたんだ」という答え合わせができるのってなんだかとても素敵なことだと思う。
リアルタイムで「いま北斗くんはこれを頑張っているんだな」と知ることができないという事実に寂しさが一ミリもないわけではない。いま北斗くんがどういう想いを背負った役を生きているんだろうなぁと考えることは北斗くんが今も何か演技のお仕事をしていたら嬉しいと思ってしまうオタクの身勝手だろうか。それでも、あのとき頑張っていた北斗くんはこの世界にいたんだね、と情報が解禁になって知る朝は、いっとう空気が美味しい。
北斗くんが用意してくれた宝箱の下に目隠しで連れて行かれて、取っていいよと言われた瞬間の胸の高鳴りと喜びは、目隠しされていた時間によって増していく。そしてその宝箱は北斗くんが時間をかけて作り上げた大切なものが入っている。それを開けるのは2月7日までお預けだけど、その間にどんな形のものが入っているんだろう、振ってみてもいいのかな、どんな音がする?軽い?それともずっしり?ねぇ早く開けたいな。まだダメなの?そっかぁあと少し待つか。なんて無邪気に待つこの時間はとっても煌めいている(そして北斗くんはこの時間が煌めいていることを"知っている")。
だから私は、時差で北斗くんの努力を知る瞬間が大好き。それをハードルを上げるという表現に収める人もいるかもしれないけれど、私が北斗くんに設定するハードルなんてない。いつでも自由に真っすぐ、時々立ち止まったり迷ったりしながらでも駆けていってほしいのだから(でも今回に関しては制作陣が「ハードルを上げて」待っていていいと言うから私もかなり期待している)。でもそんなの杞憂だよと言わんばかりに北斗くんはいつだって私が予想できる最大の「最高」を遥かに超えるところを見せてくれる。すごいなぁ、好きだな。
ところで私はそういう世界が心底嫌いだけど「アイドルだから」みたいな色眼鏡でしか評価しようとしない人間も世の中にはいる。それは北斗くんに限らず、もっと言えば事務所のタレントみんなに限らず、アイドルみんなに対するもので、作品を観てから言ってほしいと何度願っても変わらないことだ。
そういう人たちの意見とか、アイドルが俳優として演技のお仕事をすることを嫌がるオタクの文句とか、そういうSNS上に蔓延るものが彼らをときに苦しめて、不安にさせるもののひとつになっているんだろう。
私は彼らに対して同情ベースで語ったり、「そんな意見にも負けずに頑張っててすごい!」みたいな方法で褒めそやしたりしたくはない。彼らはそこと戦ってるわけじゃない。自分と戦ってるんだろうなと思うから。彼らが自分で掴んで、自分で切り開いた道はたしかに穏やかではなかったかもしれないし、彼らがそこで苦しまなければならなかった理由は時に理不尽だっただろう。大変だっただろうなと思う。今も、なのだろう。だけど私が今したい話はそうじゃない。北斗くんが、主語を広くしてよいのならば彼らが、やりたいと願ってそれを叶えていく姿が、かっこいい。尊敬している。大好きだ。それだけだ。
いつかその作品に出てみたいと願っていた坂元さん脚本の作品に出ることを叶えた北斗くんは、とてもかっこいい。それもこれも北斗くんの天性の素敵さと後天的な努力によるものだ。おめでとう。
北斗くんはいつだってこちらの善性をとことん信じてくれるのに、自分のその素敵さは持て余しているように過小評価する。私には時々それがすごくもどかしい。あなたはとっても素敵です。それはもう、とっても。なんで気が付いてくれないのかなぁ。そう思う。だけどこれまた私が云々言うべきではないことではないが、その自分に対してだけどこか自信がなさげなところが北斗くんのお芝居をもっと素敵にしているのかもな、と最近感じるようになった。それは松たか子さんの「揺れている」という表現に詰まっていて、さらに言えばそこから踏み出したときの北斗くんのフィルムでの輝きはとんでもない。ときにその輝きは眩くて、またあるときは切なくて、別のときは切実で、そしてなんだかいつもあたたかい。こんな一端のオタクが言っても何にもならないが北斗くん、あなたは本当に映画が似合う。もちろんドラマだって、きっと舞台だって似合う。でも私はあなたがあの大きくて静かなスクリーンの中で生きている姿がとても好きだ。その繊細な揺れが2時間あまりにぎゅっと詰まっていて。
北斗くんが自信なさげにするのはいつも自分に対してだけで、作品に対する自信は大いにある。分かるよ、北斗くんが出る作品は全部とても素敵だから。だけど私は、勝手なオタクだから「北斗くんがその世界に生きたから」より作品が素敵になっているんだよと言ってしまう。でもたぶん、本当にそうだ。たくさんの人が北斗くんのお芝居を観て心を動かされたと言うのだから。
もう少しあなた自身に胸を張ってくださいと言いたい気もするがそれも酷だろう。北斗くんらしく、楽しく、ときに悩みながらでもいろんな作品に出てたくさんの世界を生きてほしいと心から願う。
6時ごろ。解禁から1時間ほどが経って二度寝を試みていたけど嬉しくてなかなか眠れなかった。ぼーっと天井を見上げぼんやり考えを巡らせていてふと気がつくとカーテンの隙間から淡く黄色い光が差し込んできていた。朝かぁと思ってカーテンを開けてみたら鮮烈な朝日とまみえた。いい朝だなぁと自然と笑みが零れて、目を細めながらテラスに出てシャッターを切った。なんでも残そうとしてしまうのは現代人の性か。うん、今朝は本当にいい朝だ。そのまましばらく朝日を見つめてまた布団に戻った。この写真を見る度今日の気持ちを思い出したいなぁ。そんなことを考えていたらそのままストンと眠りに落ちていた。
北斗くん、映画「1ST KISS ファーストキス」出演決定おめでとう。2月7日が今からとてもとても楽しみです。いつも勝手に生きる糧にさせてもらってます。私にできることはほとんどないから、せめて北斗くんへ渡せる限り、最大限の愛を送り続けます。本当におめでとう!嬉しい!!