北大文芸部の謎:部誌「想」の指数関数的増加!?
こちら国立大学法人北海道大学文藝(芸)部です。
今回は、わたしたち北大文藝部の部誌「想」についてのちょっとした疑問点・謎について述べようと思います。
端緒
以前、冬部誌vol.36の編集をしている際に「36巻」まで続いているなんて文藝部は息の長い活動をしているなあとうすぼんやりと考えていたのです。2013夏に「想」vol.2を発行していることは北海道大学のサイト{学生生活, 「文芸部が部誌『想 vol.2』を発行, (2024-03-23閲覧)}から分かりますが、そうなると2012年の冬から「想 vol.1」を発行し、2014夏はvol.4、2014冬はvol.5、2015夏はvol.6、2017夏vol.10、2019夏vol.14、2021夏vol.18、2023夏vol.22……と数字が合わないことに気づき、しかしうすぼんやりしているから数え間違えたのかと思っても間違えていないらしく、これは大変なことだと思いました。
どうして大変なのかといえばつまり、x軸を年数、y軸を号数としたときに(2012, 1)を始点とする一次関数ではない増加――指数関数的増加をしているんでないかと思ったからであります。
疑念
もしかしなくとも一次関数的でなく指数関数的増加をしているのか、と思って、2015-01-20の北大サイト{学生生活, 「文芸部が部誌『想 vol.21』を発行」, (2024-03-23閲覧) }を見れば、この時点でvol.21(2014冬部誌)となっていました。
2014年の時点でvol.21ならば、2023夏にはvol.38あたりになるので一次関数的に考えたとしても中途三巻程度挫折したものがあるのかも分かりませんからさして問題はありません。しかし、2013年から2014年にかけて20巻も発行するというのは常識的に考えてありえませんで――北大サイトには2013冬部誌・想 vol.19が発行とあります――「想」が創刊される前の部誌の号数を引き継いだのではないか、とわたしは勝手に憶測しています。
憶測
というのも、2001年頃まで、文芸部の部誌は「春楡」に代って「ぎよ」というものだったのですが(神谷, 2003)、その後に2002年5月「創造爆弾」という名に改題されており(新札幌市史デジタルアーカイブ)、21世紀になったあたりにはほとんど崩壊の様相を呈していた文芸部が後輩によって再建された、というような記述が「蒼空之館」という個人サイトにありましたから、その関係で部誌名が改題されたのは確からしく、「創造爆弾」初号たる2002年夏部誌を起点とすれば、およそ十年後の2012年夏部誌ではvol.18~20くらいになっているでしょうから、当時の「想」編集者が、2013冬部誌から途端にその号数合わせを行った可能性があります。
予防
しかし、これはあくまで憶測です。本当のところはどうなんでしょう。あくまで「創造爆弾」は1984年創刊の「春楡」を改題したものであり、伝統を保守するという面で号数をリセットするというのは考えにくいです――先述した「蒼空之館」の通り、崩壊しかけた文芸部を立て直した実行力の高い集団が当時の部内に在籍したものとすれば、無い話ではありませんけれども。そして、わたしは誰にも取材していません(さらに、創造爆弾ののち改題が行われている可能性もある)。本来ならすべきでしょうが、面倒くさくて(巨大な咳が発生)誰に取材すればよいのかよく分からないので、こちら単にわたしが言葉をひねくり回しているだけの記事となっております(暇があれば、きちんと調査を行いたいですね)。
伝統
それから、部外の方にはあんまりピンとくるものがないかと思いますけれど例の「ぎよ」について、これは現在の文芸部にも引き継がれているのです。わたしたち文藝部が発行する「夏部誌」「冬部誌」「傑作選」「(テーマ誌)」のほかに部内誌という門外不出・部内のみ公開の「一年誌」というものがあります。この一年誌には、文芸部に入って一年目の方――ほとんど一年生が寄稿し構成さるるものでありますが、当該誌の表紙には「GIYO」と入れる決まりがあるのです。わたしも昨年は一年誌に参加しており「GIYO……なんだろう?」とチンプンカンプンで、先輩方もご存じでないようでしたがその実、二十年から三十年は続いている副題なんでしょう。「創造爆弾」と改題された際に「ぎよ=GIYO」は残そうといって使われていたのでしょうが、いつの頃からかこれが形骸化したものと思われます。
展望
北大文藝部はもとを辿れば1921年の創設以来ですから、単純に計算して百年の歴史があります。太平洋戦争開戦の前後で解散した文藝部は戦後の安保運動前後で再建され、しかしまた息を絶ったかと思えば、1977年に復活しています(ですから実質的には50年くらいの歴史)。わたしたち部員は、この歴史ある文藝部の伝統を受け継ぎながら、しかし一方では革新的に活動を行いたいところですね。
以上
文責・白河庶務
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