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私の人生は、私のものでいい
疲労の原因は「人のために」
「喜んでもらわなくちゃ」「いい子でいなくちゃ」「役に立たない自分に価値はない」こんな風に思って、自分を後回しにしてしまった経験をお持ちのみなさーん!安心してください、仲間です!
どうして私、毎回同じパターンにはまっちゃうんだろう?ってその原因を4つ考えてみました。これは自分自身の話だけど、私と似ている人も割といるんじゃないかな?と思って。
① 愛されたい・受け入れられたい
本能的な欲求には抗えない。誰だって「愛されたい」「認められたい」という気持ち、感じたことがあるよね。ただ、その方法がわからないから、自己犠牲に走るのかもしれない。
幼い頃から 「いい子でいたら褒められる」「役に立つと喜ばれる」 って学習すると、「いい人でいれば愛される」と思い込んでしまうでしょ?
逆に「ワガママを言ったら嫌われる」「迷惑をかけたら価値がない」と感じてしまうこともあったよね。むしろそんな経験もあった。でもそれってさ「ワガママを言わない私を見て、褒めてよー!!!」っていう心の叫びだったりしない?私の場合はそうだった。好きでいい子でいる訳じゃない!対価をくれ!みたいなさ。
ワガママ(願い事)を口にして、叱られる(叶えてもらてなかった)という恐怖を回避するあまりの『いい子ちゃん』なんだよね。
だから『あなたは真面目だもんね』って言葉に傷ついたりしない?そうせざるを得ないだけなのに、好き勝手ワガママ言える周りの人がどんどん私に荷物を預けて、あなたはこれが好きなんだね?って押し付けて行く。
そう見せたいからそうなっているだけなのに、誰にも本音を気付かれない、でもその事を気付かせてはいけない…という自分自身の『設定』に疲れきっちゃうの。不器用だよね。
② 「自己肯定感」を外注している
本当は「自分が自分をどう思うか」が大事なのに、つい 「他人がどう思うか」で自分の価値を決めてしまう。だから、「いい人でいる=他人に認められる=自分の価値がある」と考えてしまう。
負のループだよね、自分が嫌いだから自分が自分を永遠に認められなくて、他人に注いでもらった肯定感も一瞬しか自分を満たせない。
なぜなら、四六時中自分と一緒の自分自身が、自分を否定し続けるから。こんな自分が好きになった相手、こんな自分が信頼を寄せる相手。嬉しかったけど信じられないや…って。全てが自分の延長線上に居るから、他人も信じられない。
人間関係リセットして新しい場所に行きたくなったりしたことないかな?私はある。その時の自分の気持ちを振り返るとこんな感じだったんだ。
③ 成長過程での刷り込み
我が家はとにかく「人に迷惑をかけてはいけない」という考え。いわゆる厳格な家庭というやつ。過干渉気味に育てられたから、自然と「我慢する」ということが身についた。
親に嫌だ!と言い返せば、私の母はキレるのではなく、ごめんなさい、私が悪いのね…と悲しそうに目を伏せるタイプだった。子どもは何も言い返せない。そもそも「空気を読め」みたいな風潮もあって、人一倍空気を読むようになっていた私は、家族がどう思うか、というモノサシに縛られて自分の基準がよく分からなくなっていたから、世論とか『普通はさ』なんていう言葉に過剰反応していた。
これが私の「いい人でいなきゃ」の原点かもしれない。
④ 過去の経験
でも、人間。ましてや小学生である。パーフェクトに自分を世の中に溶け込ませられた訳では無いから、時折『自分』が顔を出した。だけど普段抑え込んでいるぶん、うっかり飛び出してしまうみたいな感じで、全くコントロール出来なかった。
我が家はゲームも漫画も禁止でテレビのチャンネル権も無かったため、誰にも迷惑をかけずに現実逃避出来るのは「本を読むこと」だった。幸い本を読むのは大好きだったので、毎日図書館で本を借りて帰った。
年齢より大人びていたと思うし、賢い方の子どもだったと思う。でも小学生の頃、両親がブランド物のバッグを買った時に手入れの話をしていた際に『そんなの、バナナの皮を使えばいいんだよ』と、私は言ってしまった。そして、叱られた。
ぜひ『革の手入れ バナナの皮』で検索してみて欲しい。私はたまたま雑学としてその知識があり、こんな話を聞いたんだよ〜と披露しただけである。確かに言い回しは頂けないし、脳内であれこれ飛躍した。もっと別の言い方が出来たなら、違う着地が出来たはずだ。
ただ、褒められたかった。
しかし会話経験に乏しい小学生が、ブランドバックの価値を知るはずもなく、相手(親)はバナナの皮なんて!と、私にバカにされたように捉えてしまったのだろう。
お手入れのことを話していたから教えてあげたのに、叱られてしまった、という経験は、私を少しずつ蝕んだ。膜のような、殻のような、同じ失敗を繰り返さぬためにどうしたらいいのかと思考の海に沈んでいくような感覚。
「望んだことが望んだ形で叶えられなかった」 という、たった一度の失敗。誰にでもある躓き。それに至るまでの素地はあったにせよ、ほんの小さな相手との衝突を避けるために「いい人でいよう」と強く思ってしまった。
本音は言ってはならない、願ってはならない。時折自分が何も言わぬとも願いを叶えてくれる存在そのものが怖くなって、幸せであることを禁止してしまう。
でもそれは『本当の自分の人生』じゃない。
一体、誰の人生を生きているんだろう?私は。
脱 「他人至上主義」
私みたいに誰かの期待に応えようとし続けて「本当はしたくないこと」を続けていると、どんどん自分の気持ちが分からなくなってしまう。
何が好きなの?何がしたいの?に対する答えを、私はいつも相手の中に見出そうとしていた。その時点で自分に問うてくれている相手の愛を、受け取ることが出来ていない。でもなかなか気付けない。
そもそも、周囲に対する自分の行動基準となる「他人の期待」は、思い込みなのかもしれないのだ。「こうしなきゃ」と決めたのは、他でもない自分自身だったりする。
私が 「無意識のうちに他人基準で生きていること」に気づいたのは、私の使う言葉の中に、存在しない敵が居ると見つけてくれた人がいたから。自分にとって愛ある選択をしていってねと、とことん向き合って貰えたから。その作業は痛くて恥ずかしくて、叫んで逃げ出したいものだったけれど、確実に私を変えてくれた。
そこから私は少しずつ『願うこと』を自分に許して、それを叶えてもらう成功体験と、失敗しても自分は悪くないのだよという経験を積み重ねていった。
「いい人」を手放すためのアプローチは人それぞれだと思うけれど、私なりの考え方で良ければ拾って行って欲しい。「いい人」=「都合のいい人」ではないんだ。そこの定義から間違いなんだよ。
無理して誰かの期待に応えることが「いい人」って、なってはいない?誰かにとっての「いい人」でいなかったとしても、自分の価値は揺らいだりしない。
本当に自分を大切に思う人は、あなたが「いい人」じゃなくても、ちゃんとあなたを愛してくれる。だから「いい人でいること」より、「自分らしくいること」を大切にしていいんだよ。
誰かにとっての「いい人」になることそのものは悪い事じゃない。でも、自分が苦しくなるのなら、それは「本当の優しさ」じゃないかもしれない、って事は覚えておいてね。
視点を切り替え人生を取り戻す
そう、いい人であることを手放そう、と思えたらもうそこから変化は始まってる。
① 「十分に誰かの役に立っている」と知ろう
何か大きなことをしなくても、あなたは、すでに誰かの心に温かいものを届けているよ。「私が私のままでいること」そのものが価値。そうして自分の価値が持てたら「あなたはあなたのままで良い」と、周りへの愛が一段階深まる。
② 「NO」を言っても、愛されると知ろう
「いい人=拒否しないこと」って思い込んでいないかな?本当は、自分を大切にすることが最も大切。そうしないと、適切な人間関係は築けない。
イヤだよ、は相手を全否定することじゃない。相手のイヤだよ、もあなたの全てを否定する言葉じゃない。
先回りして、出した願いを取り下げたり、打ち消したり、怖がらなくていいんだよ。
③ 「今この瞬間、私は何をしたいのか?」
他の誰かより、「私」がどうしたいのかをいつも優先していいんだよ。でもいきなりそれは難しい。わかんないよね。私もそうだった。そんな時は「今、私は何を感じているのか」から練習してみよう。
まずは、五感を意識してみること。これすごく良いよ。白い壁が見える、雨の音が聞こえる。コーヒーの香りがする、歯磨き粉の味がする。猫の柔らかさを感じている。
ちなみに、枝葉はどんどん切り落とすのがオススメ。上の例ですら余計な事ばかり加えている。人に伝えようと思うから装飾したけど、これは自分にだけ分かれば良くて、感覚の言語化の練習。
上の例だと、視覚(白)→聴覚(雨)→嗅覚(苦味)→味覚(ミント)→触覚(柔らかい)。
これでいい。無味無臭無音、それもOK!
最初は驚くほど余計なことを語ろうとしてしまうよ。その『余計さ』は自分の鎧。そして同時に言い訳だ。その説明で自分は何を得ようとしているのか、と考えていくキッカケになった。思考の訓練になったから、興味がある人はやってみて欲しい。
誰かに聞いてもらうのもオススメ。私は音声を撮って人に送っていたよ。交互にやるのもいいと思うし、ここにコメントで書いてもらってもいい。『五感のワーク』なんて呼んでみるとカッコイイ。
私の人生は、私のもの
そうして過ごしていると、何かのために生きなくても、誰かを喜ばせなくても、「私の人生は、私のものでいい」と自然に思えるようになってくる。
私もね、まだまだ揺れ動くし、失敗もたくさんする。でも、そのままで大丈夫とわかっている。今のままの自分で、もう十分価値があるからね。
だから、ここまで読んで『私のことかも』『似ているかも』とどこか共感出来た人は、少しずつでも「自分のために生きる」選択を自分に贈ってあげようね。
今回の記事はchatGPTにタイトルだけ考えてもらい、私が中身を考えた内容となっております。内容については、自分のことも書くし、自分の引き出しに無いものは誰かになりきって書いたりする予定。
テーマは「心の安らぎ」「日常の幸せ」「ちょっとした気づき」「自分を大切にする時間」です。
【ゆるやかに生きるためのエッセイ】カテゴリから書いていくね。このカテゴリのタイトルは10あります。
chatGPTに考えてもらったタイトルについては、下の記事から。
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