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269.シン・八つのほこり(をしい、ほしい)

はじめに


以前、めんどくさい事が重なった時に、
「めんどくさいのほこりが無くて助かったー」
って思ったのですが、そう思ったのも束の間
「めんどくさいは『をしい』のほこりじゃねーか!!」
と気づきました。

でもこれ、「めんどくさい」って思った時にすぐ
「今ほこりの心遣いをしている!」
と自覚できたらよかったのに、
僕の中で「めんどくさい」と「をしい」が繋がっていない事が問題だなーと思ったのです。

同時に、僕と同じような状態の人って案外いるんじゃないかとも思いました。

なので、今回から八つのほこりを
をしい→めんどくさい=めんどくさいのほこり
このように現代人にとって身近な言葉に言い換えることで、より日常でほこりの心遣いを意識できるようになるという予想のもと、
「シン・八つのほこり」
について、僕の独断と偏見で発表していきたいと思います。

※参考資料は基本的に、「お誓い」の前身である初試験の内容と、信者の栞に掲載されている八つのほこりの説き分けを参考にしたいと思います。

シン・をしいのほこり


まず一つ目は、をしいのほこりです。

まず、現代で「惜しい」がどのように使われているか考えてみると
「惜しい人を亡くしました」
といった、大切な人を亡くしたという意味や、
「もう少しで完成したのに惜しかった」
といった、もう少しで完成だったのに残念
という意味でよく使われています。

ここから分かる通り、ほこりの説き分けのような「をしい」の使われ方は、現在常用ではありません。

という事は、やっぱり「シン・をしいのほこり」は考えた方が良さそうですね。(念押し)

では早速「初試験」と「信者の栞」の内容を見ていきましょう。

をしいと申ますのは、 すたるものを、をしむはよろしいなれど。出しをしみ、骨をしみ、等が埃となります。

初試験

をしいというは、おさめねばならぬものを、 惜しいと思い、かやさねばならぬものを惜しいと思い、人に貸すものを惜しいと思い、ぎりをするのも惜しいと思い、人に分配するのを惜しいと思い、なんじゅうにほどこすものを惜しいと思い、人のためにひまを費やすのを惜しいと思い、すべて出すべきものを惜しいと思うは申すまでもなく、人の助かること、人の為になることに費やすものごとを惜しいと思うは、誇りでございます。また身惜みと言う、横着するのも、をしいのほこり。

信者の栞

初試験には、
「出し惜しみ」と「骨惜しみ」がほこりだよ。
と書いてあります。

一方信者の栞では、
前半は様々な「出し惜しみ」について書かれており、
最後に「身惜しみ」という言葉が「骨惜しみ」と同じ意味で使われています。

この「身惜しみ」「骨惜しみ」というのは、
はじめにでも書いた通り
「めんどくさい」
がばっちり当てはまりますね。

では「出し惜しみ」は何かというと、
物を返すのも貸すのも惜しいと思っている、
せこいの塊みたいな人が思い浮かびました。

そう考えると、
「出し惜しみ」は「せこい」の心遣いだと思います

ただ一つ注意が必要で、
「せこい」は「もったいない」と、
使われる位置関係的に近いことが気になります。

初試験に
「すたるものを、惜しむのはよろしいなれど」
と書いてあるように、廃れていくものを惜しいと思う「もったいない」は、
良い心遣いとして書かれています。

両者の違いを簡潔にしてみると
物を生かしていくは「もったいない」
物を手放したくないは「せこい」
こんな感じになるんじゃないでしょうか。

この「もったいない」と「せこい」の境界線が他の人から見ると少し分かりにくいので、
「お前せこいぞ!」
と言われても、
「違う、これはもったいないだ!」
と言い返せるようにしておきましょう。

という事で、1つ目「シン・をしいほこり」は
「めんどくさい、せこいのほこり」
にしたいと思います。

シン・ほしいのほこり

2つ目は、ほしいのほこりです。

「ほしい」という気持ちは、現在でも普通に出てくる感情だと思いますが、
この「ほしい」はセーフで、
この「ほしい」はアウト。
といったように、
良し悪しの判断はあまりされていない心遣いという印象があります。

という事は、良し悪しを分かりやすいする為にも「シン・ほしいのほこり」についても考えた方が良さそうですね。(念押し)

それでは「初試験」と「信者の栞」の内容を見ていきましょう。

ほしいと申ますと、価をもって、ほしいはよろしいなれど。働きもせず、価をも出さずして、ほしがるのが埃となります。

初試験

ほしいというは、分限にすぎたるものをほしいと思い、価を出さずにほしいと思い、人の物を見てほしいと思い、すべて己が身分を思わず、足納せずして、ほしい/\と言う心が埃であります。

信者の栞

ほしいのほこりは、「欲しがる事が悪」ではなく。
対価を出して、
働いて、
身の丈に合った、

そういったものを欲しがるのは良いと書かれています。

なので、お金も無い、働きもしないのに欲しがるような「ずうずうしい奴」が、「ほしい」のほこりにまみれていますね。

また別の要素として、

足納せずして、ほしい/\と言う心が埃であります。

このようにありますので、
「お金が無くてキツい」
「うちは何で貧乏なんだろう」
と、
自分の置かれている境遇が物(お金)の無い状況だと嘆くのもほしいの心遣いになりそうです。

貧乏だと嘆くのは、「お金が欲しい」という心の裏返しです。

天理教を信仰する人は、案外この
「お金無い辛い」
の心遣いが、ほしいの心遣いだということを認識してない人が多いように思います。

※ 僕も、もうすぐ2人目の子供が生まれるのに、お金が無いヤバいと常々思っています。どうか記事の下にある『サポート』という所から投げ銭してください(切実)

byほしいのほこりまみれ信仰者こーせー


という事で、2つ目「シン・ほしいのほこり」は
「ずうずうしい、お金が無くて辛いのほこり」
にしたいと思います。


おまけタイム

どーも!過去最高に更新が滞ってしまった男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

まず言い訳をすると、
実は今年の6月29日に、高岡大教会で青年会総会がありまして、その総会である部門の責任者になったため、空いた時間は全てそこに費やしていた為noteが書けませんでした。

ただ本当に凄い青年会総会だったなーと思ってまして、
出向していただいた本部青年会の委員さんからは、
「高岡大教会の青年会総会を見て、天理教の未来は明るいと思った」
「高岡の青年会は大亮様の掲げておられる理想の青年会像を体現していた
(うろ覚え、大体こんな感じの表現)
と、死ぬほど嬉しい感想をいただきました。
(アンケート結果も評価が軒並み高かったです)


そんな感想をもらえるって、一体どんな内容の総会だったのか皆さん気になりますよね、、、

気になりますよね!!(押し売り)


という事でこのシン・八つのほこりシリーズのおまけタイムでは、
「高岡分会青年会総会のここが凄かった」を書いていこうかなと思ってます!

でもまあ押し売りって事以外にも、ちゃんと総会について書く理由がありまして、
案外、他の大教会の青年会総会がどんな様子か知る機会って少ないですよね。

これから青年会総会を行う大教会もあると思うので、そういったところの参考にでもなったらいいなーって、ちょっとだけ思ってます。


また続きは、近々あげたいと思います。
「早く続きを読みたい!」
と思ったら「いいね」や「サポート」よろしくお願いします!

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!


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ほこりまみれの信仰者こーせー / 天理教note
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