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231.教祖の思い出 中々ぶっちゃけた松村吉太郎
はじめに
みちのとも昭和21年1月号の「松村吉太郎先生と一問一答」という特集の中に、「教祖様の思出」と題して、松村氏の思い出が書かれていましたので、紹介したいと思います。
松村吉太郎先生と一問一答 教祖様の思出
※先生=松村吉太郎
記者 先生が初めておぢばへ来られたのはいつ頃ですか。
先生 わしは十六の時肋膜炎の御守護を頂いてから入信したよ。母は早くから信心していたが、わしは天理教は反対だったよ。それが肋膜炎にかかって、医者はもう助からぬと言うし、いよいよ心定めして神様にお願いしようということになり
「この身体は一生神様に捧げます。もうこれからは外の仕事は一切しません」
と心定めてお願いしたら、一週間目にはすっきりよくなった。実はそれまで役場に勤めていたから、その方も止めて、道一条になることにした。それから初めて本日に参拝、色々の先生からお話を聞いた。主に桝井さん(伊三郎先生のこと)からだったよ。
記者 教祖様にお会いになられましたか。その感想はいかがでしたか。
先生 お会いしたよ。なんというか子供のような感じで、簡単な人だと思われた。その時に教祖様は
「教興寺の者か。来る者に無理に来なとは言わん。来ぬ者に無理に来いとは言わん」
というようなことを言われたが、随分つまらんこと言われる人やなと思った。それはわしが教祖様を人間のお婆さんとして見たからで、今から考えてみると、教祖様は左様に澄み切った水のような心境でおられたのだと思う。それからはあまりお会いする機会がなかったので詳しいことは子供のことでありよく知らんが、当時聞いたところによると、教祖様はしきりにおつとめをおせきになる(急き込まれる)。しかるにおつとめをすれば警察がやかましかったので、お側の者がその旨を申し上げると
「神様が言われるのに何が悪いのや」
と言われるので
「それは法というものがあるからやかましいのです」
と申し上げると
「分からんね、わしは良いことをしているのに何が悪いのだろう。神様がこうせいと言われているのにどうしてそれが悪いのだろう。」
と至極簡単に考えられていたようです。しかしその心は一点の罪けがれもない。三才の心よりもなお純な心で誠神様の心であったのだと思っている。
それからまた前管長様とは、わしの歳が一つ若かっただけであるから、よくお友達のようにしてお会いしていたものだ。わしが管長様のところへ行くと
「松村かよくきよった。桝井話をきかせてやれ」
と言われていた。そうしたある日のこと、わしは管長様に
「世の中の者は天理教を誤解している。これを直すには、教会を設立するより外はない」
と申し上げると、管長様も
「わしもそう思っているのだ。玉石混合ではいけないので教会を設置せねば世の中の誤解は解けぬ」
と言われた。しかし教祖様は一向そういうことには無関心で、只もうおつとめをおせきになるばかりで。決してそういう話しは受付けようとされなかったようである。なんというか教祖様には、神一条、助け一条の外は何物もなかったのだと思う。
※現代仮名遣いに直してます
松村氏が教祖の最初の印象を、物怖じせずド直球に答えておられるのが新鮮でした。
教祖の印象を、
「子供のような感じで」
「簡単な人」
「随分つまらんこと言われる人」
ここまで言えるのはマジハンパないです。
このように言えるのも
「それはわしが教祖様を人間のお婆さんとして見たからで」
と理由を述べられていますが、それでも忖度が生まれないのは凄いと思いました。
お陰様で、僕達は教祖のお姿の片鱗を垣間見ることができます。
似た話があったような…
それにしてもこの教祖のお言葉
「教興寺の者か。来る者に無理に来なとは言わん。来ぬ者に無理に来いとはいはん」
何処かで見た事あるような気がしませんか?
そうです。
「稿本天理教教祖伝逸話篇 190 この道は」
に出てくる、
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
このお言葉と後半部分が一緒なんです。
稿本天理教教祖伝逸話篇 190 この道は
明治十九年夏、松村吉太郎が、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。多少学問の素養などもあった松村の目には、当時、お屋敷へ寄り集う人々の中に見受けられる無学さや、余りにも粗野な振舞などが、異様に思われ、軽侮の年すら感じていた。ある時、教祖にお目通りすると、教祖は、
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
と、仰せになった。 このお言葉を承って、松村は、心の底から高慢のさんげをし、ぢばの理の尊さを、心に深く感銘したのであった。
よく似た言葉ですが、この二つの言葉に付随する松村氏の気持ちは正反対です。
1:教興寺の者か。来る者に無理に来なとは言わん。来ぬ者に無理に来いとは言わん
→随分つまらんこと言われる人やなと思った。
2:この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。
→心の底から高慢のさんげをし、ぢばの理の尊さを、心に深く感銘したのであった。
どちらも同じ明治19年の話なので、これは一体どういう事なのか気になってきました。
そこで、高安大教会史にはどのように書いてあるのか確認してみると、
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
と仰せられたので、自分の心を見抜かれたのかと思ひ、深く感動し、それ以来人を見る目を大いに変えられたとのことである。
高安大教会史 77p
このように、ほぼ逸話篇と同じ文章です。
そこで次に、松村氏の伝記「道の八十年」を読んだのですが、そこで合点がいきました。
そこには、すでにお屋敷に馴染んだ松村氏が、お屋敷に集まる人々に不満を持っていたため、
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
このように教祖からお言葉があったとして書かれていました。
つまり、
「教興寺の者か。来る者に…」
この言葉は初めてお会いした時にいただいた言葉で、
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に…」
この言葉は、お屋敷に出入りするようになってしばらく後にいただいた言葉だったと読み取れます。
同じ言葉だから響いたのかも
僕の中で、松村氏が「190この道は」で教祖の言葉に深く感銘を受けたのも、最初に教祖から頂いた言葉と同じ言葉だったからではないかという妄想が膨らみ始めました。
「教興寺の者か。来る者に無理に来なとは言わん。来ぬ者に無理に来いとは言わん」
ちなみに、この教興寺とは、現在の高安大教会のすぐ側にあるお寺です。
この言葉を頂いて松村氏は、「随分つまらんこと言われる人やな」と思ったように、見当違いの勘違いをしていました。
しかし、それが見当違いだと分かると。
「あーあの時の俺はなんて浅はかな心をしていたんだ」
といったような反省みたいな事もしていたのではないでしょうか。
そんな中、時を置かずして、お屋敷に集まる人々に不満を持つという心得違いをするようになっていた時に、教祖から
「この道は、智恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。来ぬ者に、無理に来いと言わんのや。」
このように、初めて言葉を頂いた時と同じ言葉を頂きました。
冒頭の部分は違えど、一度ならず二度までも、同じ心得違いを戒められた松村氏の心境を思うと、めちゃくちゃ心に刺さったと思います。
一度注意されたことを、もう一度注意されると、
「やっちまった」
と思いますよね。
もう失敗するわけにはいかないと、心に刻み付けると思います。
松村氏も教祖から同じ注意を2度受けたので、深く心に残り、逸話篇にもなったのではないかと妄想を膨らませてしまいました。
という事で、最初の妄想が予定よりかなり長くなってしまいました。
本当は後半の部分にも触れたかったのですが、文字数も多くなってきたので、
「三才の心よりもなお純な心で誠神様の心」ってどんな心だったんだろう?
とか
「教祖様には、神一条、助け一条の外は何物もなかった」とはどんな様子だったんだろう?
といった妄想をすることは、このnoteを読まれた皆さんにお任せしたいと思います。
(それっぽく締めてみた)
おまけタイム
どーも!ニーチェの熱さにやられている男
ほこりまみれの信仰者こーせーです。
先日、ある尊敬する方から本を頂いたのですが、その本を読んでニーチェの熱さにやられています。
佐々木中という方の本で、本文を引用したいのですが、一部を抜き出しても熱さは伝わらないし、熱さを伝えようと思ったら全文載せないといけないので、引用は諦めました。
という事で、比喩を使ってニーチェがどのくらい熱いかを表現したいと思います。
いきます!
ニーチェは、
「炎天下の車内でおでんを食べるくらい熱い」
どうでしょう?
ニーチェがいかに熱いか伝わりましたでしょうか?
…
……伝わりましたか!
それは良かったです(´∀`)
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
ほな!
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