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252.別席制度の変遷について#4


はじめに


この記事は連載記事の第四弾です。

今回で別席制度の変遷についての記事はラストになります。
(予定より大分長くなっちゃいました)

前回、前々回、前々々回の記事をまだ読まれていない方は、先にこちらを読んで下さい。


前回は、
・試験制度の始まり
・おさづけの理

この二つについて書きました。

今回は、「仮席」「別席話しの統一」「お誓いの言葉」について書いていきたいと思います。


仮席


別席制度は人々が話し合い、伺いを立てて決まっていましたが、
仮席に関しては、神様が具体的な指示をしています。

この事実を知ったときは衝撃でした。

「仮席には神様の思いがこもっていることを、仮席を受ける前に知っていれば、もっとちゃんと聞いてたのに…」
という後悔の念が生まれてしまったので、
この事実を、これから「おさづけの理」を拝戴される方にはしっかり伝えていかなくてはいけません。
(そもそもちゃんと聞けよって話しですが…)

という事で、おさしづを見ていきたいと思います。


三名仮席に入れて、二人事情を付けにゃならん
三名は又仮席へ入れる。
事情速やか改めて、二人の席許そ。
明治23年7月13日


ここで仮席の人数について言及されています。


三名仮席に入れて、二人事情を付けにゃならん。

このように言われているように、おさづけの理を拝戴した3名に対して、2人の人が話をしなくてはいけないと言われています。
更にこのおさしづの二日後に、


さあ〳〵一言々々話して、これまでの書取渡すのや。
渡すのが第一やで〳〵。後よりわたすのが第一肝心やで。
(中略)これから先の書付は、皆一人々々の心の理に又諭すによって、これまでの書付と、それに添えて、後で書付渡すのが第一肝心や。
明治23年7月15日


このように、「書取(おかきさげ)」についての言及があります。


さあ〳〵一言々々話して、これまでの書取渡すのや。
(書取=おかきさげ)

これまでは、本席が一人一人にお言葉を下されていましたがその内容はだいたい似通っていました。
そのお言葉を総括して、人々に渡すことになった書き物が「書取(おかきさげ)」です。


更に仮席では、書取(おかきさげ)と共に、
「書付」と呼ばれる短いお言葉も渡していたそうです

これから先の書付は、皆一人々々の心の理に又諭す

自分だけに渡されるお言葉があるって羨ましいですね。


しかし、このおさしづの翌日、書取を渡すだけでは駄目だというお言葉が下ります。

呼び出し一名、書き取り一名、願人一名、仮席三名の席、二名心の理を治めさそう。後十分の理を諭してくれ。
書取見て、鮮やか分かる者もあれば、分からん者もある。
明治23年7月16日

書取を見ても分からない者もいるので、重ねて十分諭して欲しいと言われています。


そして更に翌日、30才までの者の書取には後ろに書き加える文言があるとお言葉が下ります。

年齢々々の処、三十才までは第一前々に諭した。
前々の理、これを書き入れんならんで。
明治23年7月17日

書き加える文言は以下の通りです。

又一つ、第一の理を諭そう。
第一には、所々に手本雛型。
諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という。これが第一。
又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。
二つ一つが天の理と諭し置こう。さあ、これより先永く変わらん事情に。

30才以上の方がおさづけの理を戴かれても、この部分は書いてありません。

この理由については、以前面白い考察を色々聞きました。

例えば、
「内容は当たり前のことだが、まだ経験の浅い30歳以下の若い者には丁寧に教えるために書き加えたのでは」
といった説等、様々な考察が入り混じる面白い部分ではあるのですが、文量の関係上今回は省略させてもらいます。


こうして現在と同じ、
「初試験→別席→本席→仮席」
という制度ができました。


○まとめ
・仮席は本席の事情に心添えさせるものであり、本席の後に行う。
・十分の理の書取を渡す席である。
・受け取る者の中には書取を読んでもわからぬ者もあるから重ねて十分諭すこと
・仮席には呼出、書取、願人の三人が同席する
・これをもって、現在とほぼ同じ「初試験―別席―本席―仮席」の制度ができる。


〇疑問
明治23年1月13日の伺いにより、試験制度が導入されることになりましたが、その際、本席前にも試験を受けるということに決まりました。
そこから次の段階に移る半年後までの間に、
本席前の試験が無くなっています。
その理由が気になりました。
もしご存じの方がいましたら教えてください。


別席話の統一


別席の内容について掘っていくと、沼のように底無しなので、今回は
「別席話の統一」
についてのみ触れます。

取次人は教祖から直接お話しを聞かれた方達なので、台本が無くてもお話しを取り次ぐことができました。

しかし、いくら良い話しであっても、9回違うお話しを聞いては、お話しの内容が心に納まっていきません。

その結果、
「話す側の諭し方」
「聞く側の受け取り方」
間違いが出て来るようにってきたので、別席のお話しを統一するよう神様からお言葉があります。


おらこう聞いた。お前の聞いたのと、わしの聞いたのとは違う。そんな事ではどんならん。これから一つに繋いで了う。
(中略)
誰がどう言う、彼がこう言うた。人々一つに書いて集めて、
しんばしらへ持ちて行て、これはよい、これはどうと、
それからこうなると、席に尋ねて一つの理に治めるという。
明治31年5月9日


取次人は、各々が取次いでいる内容を書いて初代真柱に提出し、内容を統一しました。

(お話しの取次人が誰だったかは、こちらの記事に詳しく書いてます。)



統一した別席の御話しを飯降伊蔵氏に披露したところ、
「こういう話しをしてくれ」
「これを話す時はこういう点に注意してくれ」
内容について具体的な指示があります。
おさしづの要点は以下の通りです。

明治31年8月26日 夜刻限
・秀司様、こかん様の十年間の御苦労
・十年の理
・本席のふせこみの理
・大和神社の一件
・教祖の心

明治32年2月2日 夜
前に一同揃いの上願い出よとのおさしづに付、
本部員残らず打ち揃い願い出おさしづ
・別席の話の順序の統一
・鏡やしきについて
・黒疱瘡の子をたすけられた話
・元治元年以前と以後の話
・言葉の満足

別席のお話を思い出しながら、おさしづのこうやって見ると、
「別席のお話にこのエピソードが入っているのは、神様からの指示だったのか」
と結構気づくことがありますね。
(※僕は先月「傍聴願い」を出して別席のお話を聞いたので、こんなことが言えちゃうわけです。もし先月聞いてなかったら、別席の内容は全然思い出せなかったことでしょう…)


初試験→誓いの言葉


時代はグッと進みまして、昭和23年1月25日から
「初試験」「誓いの言葉に」なりました。

その変更された経緯については、「天理教教典稿案講習録」にて、山澤為次氏が説明していますので、引用したいと思います。

(前略)初試験の時に、十柱の神様のお名前とその御守護を言わしておったのでありますが、人々の中にはその理をはっきりと心におさめて仰有らずに、どうかすると丸暗記的な、然も丸暗記するのみならず今申しましたように、それ〳〵゛独立した十柱でおられるのだというような考え違いをする向もありますので、真柱様の深い思召によりまして、最近の初試験にはそれらは撤廃されておるのであります。
でございますから皆様方が信者さんに別席を運ばす時は、そういう根本の趣旨を御理解の上、唯の丸暗記にならないようその意のあるところを十分に御教え頂きお導き頂きたいのでございます。
前のように、神様のお名前を覚えなくとも楽になったんだというような簡単なお考えでおって頂いては、本当の理のあるところをおのみこみ頂けません。
引用:天理教教典稿案講習録 山澤為次

「心に治めず丸暗記はダメ」
「丸暗記の弊害で勘違いが起きている」
というような理由から、初試験は廃止になりました。

現在は「誓いの言葉」を丸暗記していたら「凄いですね」と褒められるような状況ですので、ギャップが凄くあると思います。


以上、最後の方は駆け足で別席制度の変遷について書かせていただきました。

4つの記事を合わせて2万字弱の記事になっちゃいましたが、今回のシリーズは読み物というより、
「必要な時に必要な部分を読む」
というツール的な使い方をして貰えたらと思います。


おまけタイム


どーも!飽きっぽい男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

前回の記事から2週間以上更新を休んでしまいました、原因は
「別席制度の変遷について書く事に飽きちゃったから」
という理由です。

そうなんです。

1ヶ月以上同じ事を書いてると、他に興味が湧く事が沢山出てきまして、
「こっちも楽しい、あっちも面白い」
という状態になってしまい、noteに手がつきませんでした。

ただこれは
「自分がいつでも確認出来るように完成させなければいけない。」
という使命感のもと、途中で投げ出すわけにはいかなかったので、ようやく書ききる事ができました。

そのせいか、今回の記事は露骨に熱量が低い文章になってますが、どうか温かく見守っていただけたらと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!


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ほこりまみれの信仰者こーせー / 天理教note
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