270.シン・八つのほこり(にくい、かわい)
はじめに
それでは引き続き、シン・八つのほこりについて書いていきたいと思います。
前回を読んでいない方はこちら↓
本編に入る前に、前回書いた「ほしいのほこり」について、
「ハングリー精神はほしいのほこりですか?」
という質問をいただいたので、先にそっちを回答したいと思います。
結論から言うと、
ハングリー精神はほこりの心遣いではありません。
一生懸命努力して、貧しい状態から脱却しようとする訳ですから、
「働きもせず、価をも出さずして、ほしがる」
という状態とは全く違います。
何も努力をせずに欲しがる、
「怠惰な心」
がほしいのほこりの心遣いです。
キリスト教の「7つの大罪」の1つである「怠惰」が、「八つのほこり」である「ほしいのほこり」と繋がってるのって、ちょっと面白いですよね。
それでは本編いきましょう。
にくいのほこり
3つ目はにくいのほこりです。
「にくい」のほこりで皆さんを悩ませる一番の問題といえば、
「にくいのほこり」と「うらみのほこり」は何が違うのか?
という問題ではないでしょうか。
説き分けを読んでも、何が違うのかピンとこないので、今回はこの両者の違いを明確にしつつ、
「シン・にくいのほこり」について考えていきたいと思います。
では「初試験」と「信者の栞」の内容を見ていきましょう。
にくいの心遣いは、信者の栞に
「虫がすかん」
「そそう」
「あやまち」
「無礼」
このような行いをする人に対して、
にくいと思う心がほこりの心遣いと書かれています。
現代風に言えば、
嫌悪感から派生する
「嫌い」
「うざい」
「きもい」
こういった心が「にくい」に当てはまりそうです。
以上のことから、「にくい」を総括しているキーワードは、
「嫌悪感」
だと思います。
そして、
「嫌悪感」はどういう心の状態から発生するかと言うと
「高慢な心の状態」
から発生します。
相手を自分より下だと見下しているから、
相手へのリスペクトが無いから、
「うざい」とか「きもい」とか思えるわけです。
相手を尊敬する、謙虚な気持ちがあれば、嫌悪感は出てきません。
以上を踏まえて、信者の栞を読んで読んでみて下さい。
「にくい」の心遣いをしている人は、明らかに相手を見下していることが分かります。
以上のことから、
「にくい」は「こうまん」からの派生である。
という特徴がありそうです。
また別視点で、
にくいの許されている部分として、
「罪をにくむ」
のは良いとされています。
ですから、
罪に対して「嫌悪感」を抱く事は、
ほこりの心遣いはなりません。
しかし、これが人や社会に向くとほこりの心遣いになりそうです。
特に現代においては、
SNS等での誹謗中傷といった、
「独善的に人を裁こうとする行い」
これも、
「にくいの心遣い」
から出てくるのだと思います。
独善的な行いも、自分の方が相手より正しいと思っている人を見下す心から出てきますよね。
そして、こういう心遣いを表すピッタリな言葉があります。
それは、
「マウンティング」
「マウントを取る」
これしかありません。
一方、
「うらみ」には、にくいの特徴である「嫌悪感」の枠には収まらない、
「怨念」(おんねん)
という感情が付随します。
「うらみ」の方が「にくい」よりも、
圧倒的にロングスパンで持ち続けます。
(※うらみ関しては、「シン・うらみのほこり」で説明したいと思います)
にくいのまとめ
という事で、3つ目「シン・にくいのほこり」は
「うざい、きもい、マウンティングのほこり」
にしたいと思います。
かわいのほこり
4つ目はかわいのほこりです。
「かわいのほこり」って「可愛がること」がダメなの?
と一瞬勘違いしそうですが、
神様も子供が可愛い、人間が可愛いと思っているので、可愛いがることになんら問題はありません。
では、何がほこりの心遣いになるのかを「初試験」と「信者の栞」から見ていきましょう。
初試験に「へだてのない可愛いのはよろしい」とあるように
「隔てること」
これがかわいのほこりの心遣いです。
可愛いと思うことは全然大丈夫で、
「差別する事がダメ」
ってことですね。
「差別」と聞くと、「人種差別」といったようなスケールの大きい話しを思い浮かべますが、かわいのはこりはもっと身近な所にもあって、
「うちの子は可愛いけど、他の子は可愛く無い」
といった
「えこひいきする心」
こういった、より身近な感覚にもかわいのほこりが潜んでいます。
また他にも、
「かわい」の心遣いとして、愛情に
「引き裂かれる」とか
「溺れる」とか
おっかない言葉が信者の栞に並んでいます。
客観的に相手を見れなくなると
「行きすぎた自己犠牲」や
「依存関係」
に発展したり、ストーカー等の犯罪にも繋がると考えたら恐ろしいです。
こうした愛に溺れてしまう原因として、
相手に見返りを求める「よく」の心が起因しているのではないかと思いました。
「これだけ尽くしたのだから、、、」
「こんなに相手の為を思って行動したのだから、、、、」
といった、見返りを求める押し売りの愛情がほこりの心遣いになってきそうです。
またこれと似たようなものとして
「善意の押し売り」
がありますが、これも相手の事を考えず、自分が気持ち良くなるための押し売りですので、かわいのほこりだと思います。
やはり、
「親の子に対する無償の愛」と、
「見返りを求める愛」
とは全然次元の違うのだと思いました。
(見返りを求める時点で愛では無い!というツッコミは勘弁して下さい)
かわいのまとめ
という事で、4つ目「シン・かわいのほこり」は
「えこひいき、見返りを求めるのほこり」
にしたいと思います。
おまけタイム
どーも!オリンピックを見ながらnoteを書いてる男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!
今回から、高岡分会青年会総会の中身に触れていきたいと思います。
まず総会で始めに行ったのは
「12下り総立ち総唱和」
です。
代表者が上段でつとめるのではなく、全員で踊って全員で唱和する、
「12下り総立ち総唱和」
を行いました。
この時のおつとめの迫力は、言葉では説明できない凄みがありましたね。
でも、いきなり「総立ち総唱和」をします!
と言っても、出来ないじゃないですか。
ですから、全員がおどって唱和するために、色々な工夫も重ねました。
そのいくつかを上げると
・前方にスクリーンを設置して、そこにみかぐらうたを表示する。
・手踊りを覚えていない人達だけで固まらないように、等間隔に委員を配置する。
・鳴り物は拍子木のみ。
・30分強で12下りを踊りきる圧倒的なハイペース。
などなど
(スクリーンに写っているのは、記念品オリジナルトートバックのCMです)
とにかく体力にものを言わせたおつとめを行ったので、おつとめの後は皆口々に
「ぶっ倒れるかと思った」
「めちゃくちゃキツかった」
と言い合ってましたねー笑
そんなおつとめの様子を見に来たある婦人さんから、
「総会のおつとめを目の当たりにして涙が出てきた。」
という感想をいただいたり、
総会後のアンケートでは、
「12下りのおつとめで一手一つを感じられた」
「とても充実感があった」
といった回答も沢山あって、まじで他分会にもオススメしたいです。
次回は宴会について書こうと思います。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
ほな!