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260.なんで教祖誕生祭をつとめるの?
はじめに
先月の4月18日に、教祖224回目のお誕生日を迎えられました。
この機会に、「教祖誕生祭」について色々と調べて分かったことがあるので、メモとしてこのnoteに残しておきたいと思います。
教祖誕生祭始まった年
教祖誕生祭が初めて行われたのは、
昭和9年4月18日
教祖136回目のお誕生日になります。
教祖殿の完成
初めての教祖誕生祭の前年にあたる、
昭和8年に現在の教祖殿が完成しました。
教祖遷座祭 昭和8年10月24日
落成奉告祭 昭和8年10月25日
この教祖殿の完成に伴い、教祖に
「存命同様の生活」
をしていただけるようになりました。
詳しい内容については、遷座祭の祭文に書かれていますので、一部引用したいと思います。
(読むのが大変な方は、太字の所だけでもチェックして下さい)
(前略)
只今から御食事を差上げさせて頂き御住居へ御移りの心祝いをさせて頂きます。どうぞ十分に御召上がり下さいますよう御願い申上げます。
かねがね存命同様に仕えよとおきかせ願っていながら今日までその理を十分に形の上にも顕れさせて頂くことの出来なかった事情は許せなかったとは申せ誠に恐れ多い極みでございました。今度新しく造らせて頂きました御住居とて未だ御満足をして頂く程完備は致して居りませぬが六百萬の子供等が御恩報じの一念から建てさせて頂いたもので幾分成人も御思召に近づかして頂いた事と思います。またお粗末ながら御手廻品一通りをも調えさして頂きましたから御使い下さいまして風呂もたててありますから御召しになり御くつろいで御休み下さいますよう御願い申上げます。
(後略)
出典:天理時報 昭和8年10月29日号
※現代仮名使いに直しています
この祭文を読むと分かるように、
「存命通りの奉仕」が始まったのは、
昭和8年に現在の教祖殿が完成してからとなります。
この教祖殿が完成し、
「存命通りの奉仕」ができるようになって初めて迎えた教祖のお誕生日が
「明治9年4月18日」だったのです。
初めての教祖誕生祭
天理時報昭和9年4月15日号に、誕生祭について記事が載っているので、いくつか引用したいと思います。
昨秋新教祖殿の落成を見、六百萬信徒が待望して止まなかった御教祖存命の理が具現化され、以来われらは御存命同様のお仕へを申し上げて喜びの日々を送って来たが、之れとともに御教祖誕生のお祝いをすべしとの議が一層の熾烈さを加えて叫ばれ、遂に十日の本部員会議で、来る十八日第百三十六回御誕生日を機に、いよいよそのお祝いの式典を挙行することに決定、(後略)
なんと初めての誕生祭がつとめられると決まり、発表されたのは「4月10日」だそうです。
今の感覚では考えられないくらいギリギリです笑
当時の通信網を考えると、
「えっ教祖の誕生祭なんてあったの!?」
と、4月18日が過ぎてから誕生祭を知った人も居たかもしれません。
そしていよいよ、教祖誕生祭がつとめられる事になった確信の部分を引用したいと思います。
今回本部員会議の建議により、来る四月十八日教祖御降誕日において本部でその御祝の儀式を挙げられる事に決定したことは別項記載の如くであるが、これは全く教祖様御存命の理に基づくものであって、本教六百萬信者が数年以来ここに両年祭奉仕の道として日夜活動している所以も、この機を旬として「教祖存命の理」を立て切りしかしてこの理によって日々遺憾なき奉仕をなし奉ろうというのが唯一の目標であって、これによって一方非常時と言われる現在の時旬を突破し得る強き信念を国民に養わしめると同時に世界いちれつ助けの道としての本教将来の発展に固い礎を築こうとしている者であるから、この見地からいうも御存命同様にお仕えする意味において、その御誕生の御祝をするのが当然である。
(後略)
※現代仮名使いに直してます
ここに、教祖誕生祭がつとめられるようになったキーワードが出てきます。
・両年祭
・教祖存命の理
この2つの事です。
「両年祭」とは、
「教祖50年祭」と
「立教100年祭」のことです。
昭和12年にこの二つの年祭を迎えるにあたり、 昭和6年1月7日に「教祖殿」「神殿」の建築計画が発表されました。
天理時報 昭和6年1月15日号に掲載されたトップ記事の見出しでは、
立教百年祭・教祖五十年祭を前にして
教祖殿の大改築
教祖存命の理に基づき御用間も建造して仕えまつる
このように書かれており、この見出しを読めば年祭活動として「教祖存命の理」を形の上でも実現していく事が進められるようになった事が分かります。
「教祖存命の理を形の上でも実現していく」
ということが分かれば、
「教祖誕生祭をつとめる必然性」
もよく分かるのではないでしょうか。
この必然性を、あえて粗暴な言い方をすれば、
「誕生日ってめでたいし、教祖が教祖殿に居られるのだったら、御祝するのは当然でしょ」
という感じになります。
日本の象徴である天皇に例えるならば、
天皇の誕生日を
メディアでも報道しなければ、
誰もお祝いしない状況は、
現実としてあり得ません。
これと同じで、
教祖が教祖殿に居られるのに、教祖のお誕生日に何もお祝いをしないということは、天理教を信仰する者として考えられません。
教祖殿が完成して以来、教祖には存命同様に、お食事・入浴・睡眠等をして頂けるようになったのであれば尚更です。
この事について、二代真柱様は教祖誕生祭の祭文で、
(前略)
常々から御存命同様の理にお仕え申すべき事を御教え頂いて居りますにも拘らず、私達道の子供の心の成人が尚不十分でありました結果とは申せ、今日の日までついうか/\と御誕生御祝日の儀を粗漏に過ごして参りましたことは全く何とも申訳の言葉が御座いません。
(後略)
このように、昭和9年4月18日まで、教祖のお誕生日を疎かにしていたお詫びをされています。
以上のことから、「教祖誕生祭」がつとめられるようになったきっかけは、
・「教祖50年祭」「立教100年祭」
・「教祖殿の完成」
・「存命通りの奉仕(教祖存命の理)」
この3つになると思います。
なぜ「かぐらづとめ」をつとめるのか?
教祖の誕生日をお祝いするにあたり、
「なんでかぐらづとめをするの?」
「喜びの大合唱(ハーモニー)だけでも良いんじゃないの?」
といった疑問を耳にしました。
その明確な答えは見つけられていないので僕の推測になりますが、
「教祖が一番お喜びになる事何か?」
と言うことを考えると、
「おつとめをつとめること」
になると思います。
これは史実を見れば明らかで、
教祖のお誕生日をお祝いするわけですから、教祖が一番お喜びになる事をしたいと思うのは子の道理です。
ですから、
「教祖誕生祭になんでかぐらづとめをするの?」
という質問に対する答えは、
「教祖が一番お喜びになるからですよ」
と言う答えで良いんじゃないかと思います。
おまけ
○「存命通りの奉仕」によって変わったこと①
「かぐらづとめ、おてふりが男女半々でつとめられるようになった」
かぐらづとめが男女各5人ずつ、おてふりが男女各3人ずつでつとめられるようになったのは、教祖の遷座祭からだったようです。
この事について、山澤為造氏は
若い人達の中には、お神楽勤め、立勤め、何れも男のみによって勤められると思っている方があるかも知れぬが、実際は今度のように勤められるべきものである。今度の祭典を期し、すべて教祖様存命のままの奉仕に帰らして頂いたが、お神楽勤め、立勤めにおける教祖様存命の理の具体化が今度の形式なのである。
出典:天理時報 昭和8年11月5日
このように述べられています。
○「存命通りの奉仕」によって変わったこと②
「刊行物をご覧いただく」
昭和9年2月3日より「天理時報」と「みちのとも」を教祖にご覧いただくようになりました。
この事については「天理時報 昭和9年2月11日号」に
御教祖様に御覧を願ふ
「時報」と「みちのとも」発行毎に御前に差上げる
と題して記事が書かれています。
これ以降、現在でも教内の主な刊行物は教祖にご覧いただいています。
○参拝者も唱和できるようになる
教祖誕生祭以前は参拝者がみかぐらうたを唱和する事はできませんでしたが、この時から参拝者も唱和を許されるようになりました。
天理時報 昭和9年4月22日に
従来は地方二名によって奉行されていた歌詞を本日よりは列席者一同によってその和唱がゆるされたので、荘重なる諸楽(?)の音に合して一万数千の口をついて出る大衆の地方の声はぢばを震撼してここに時ならぬ大コーラスはさながら両年祭に対する本教徒の意気と熱とを表現するが如く、高く上天にも届けと連綿一時間のみかぐらうた大合唱となったのである。
※(?)とした「楽」は字が潰れている上に旧字のため間違っている可能性があります。
当時の状況がこのように書かれています。
おまけタイム
どーも!痩せたい男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!
先日、
「引っ越しする前に障子を張り替えなくては」
と思い、人生で初めて障子を張り替えました。
天理高校2部時代に紙漉場(かみすきば)勤務だったので、幾度となく障子紙を漉いてきた僕ですが、
(なんなら、原料の木(こうぞ)から紙を作っていた僕ですが)
初めての障子張り替えは大変苦戦しました。
まず、ネットで調べた通り、水をふりかけ障子紙を剥がそうとするのですが剥がれません。
よく見ると、ビーズをアイロンかけて溶かしたようなもので貼り付けてありました。
こんなやつ↓
※画像はイメージです
「聞いてないよ!!!」
「YouTubeにも水で剥がれるって書いてあったじゃん!」
と思いながら、
「ハハーン、これは剥がし液ってやつが必要なパターンか。動画で見たから知ってるし」
とプライドを立て直し、ホームセンターダイキに買いに行ったのですが、置いてたのはこれ、
「ビーズの溶けたみたいな奴剥がせへんやん!」
失意の中、頼まれたケチャップ買って帰りました。
アイロンで剥がしたら取れるやつかとも思ったのですが、すでに半端に剥がしている上、アイロンで剥がれると認めるのは僕のプライドが許さず、結局はマイナスドライバーを使い、妻と二人がかりで、4時間弱かけて障子紙を剥がしました。
もう障子は触りたくありません(;ω;)
次は襖を修復しなくてはいけないのですが、何も無い事祈るばかりです。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ほな!
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