271.シン・八つのほこり(うらみ、はらだち)
はじめに
それでは引き続き、シン・八つのほこりについて書いていきたいと思います。
今回は「うらみ」と「はらだち」です。
前回から大分時間があいてしまいましたが、ボチボチ続けていきたいと思います。
初回を読んでいない方はこちら↓
前回を読んで無い方はこちら↓
うらみのほこり
5つ目はうらみのほこりです。
「にくい」の項目で
と書きました。
ということは、「にくい」と似ている思われている「うらみ」にも特徴があるってことです。
それはずばり、
「うらみ」の特徴は
「因縁(いんねん)の自覚」
が大きく関わってくる事だと思います。
それでは、「初試験」と「信者の栞」を見ていきましょう。
信者の栞に
このように書いてあるように、
起こってきた事の原因は全て自分の因縁である、にも関わらず、
「あいつのせいで、あれのせいで」
と、全て人のせいにすることが「うらみ」のほこりです。
ただ、
「起こってきた事の原因は全て自分である」
とはいっても、初試験に書いてあるように、
というのは、受け入れ難いものがあります。
現代において「自分を恨む」といのは、
極端なネガティブ思考
鬱
低い自尊心
などを連想させ、自分を追い込む意味が強過ぎるように感じますよね。
「我が身我が心をうらむ事」=「自分を追い込む」だと考えると、「陽気」とは真反対の意味に位置するので、神意に沿っているとは思えません。
そう考えると
「我が身をうらむ」とは、単純な「恨む」という意味ではなく、もっと別のところに本質があるのではないかと思いました。
その本質とは何なのでしょうか?
結論から言います。
「うらみのほこり」の本質は、
「自分以外に対する原因の追求(犯人探し)」
だと思います。
起こってくる事の原因を
「他人のせいだ」
「あいつが悪い」
「自分は悪くない」
と、
犯人探しをするのが「うらみのほこり」で、
反対に起こってくることは全て
「自分のいんねんだ」
と考えるのが「自分をうらむ」ということではないでしょうか。
「すべては因縁の理からなると言う理を悟らずに、、、」
と書かれているので、これをネガティブに受け取ると、
「自分のこれまでの行いが悪かったのかも、、、」
と自分を責める事ばかり考えてしまいますがそうではありません。
起こってくる事は全て、
自分のために神様が与えて下さってるものなんだと自覚する事が、「自分をうらむ」という事なのだと思います。
その反対に、起こってくる事全てを誰か別の物のせいすることが、ほこりの心遣いです。
という事で、
5つ目「シン・うらみのほこり」は、
何でも別の誰かのせいにする
「犯人探しのほこり」
にしたいと思います。
はらだちのほこり
6つ目ははらだちのほこりです。
正直、「はらだちのほこり」は「はらだち」のままでいいとも思いますが、流石にそれではシンの名を名乗れないので、頑張って考えたいと思います
では「初試験」と「信者の栞」を見ていきましょう。
まず、日常では馴染みの無い言葉である「理非」の意味が分からない人も多いと思ったので、調べてみした。
なるほど。
理非は、「善悪」や「良し悪し」のように、相反する二つの意味が合わさった言葉だと言う事が分かります。
ですから、初試験の内容を現代語訳すると。
こんな意味になるかと思います。
ちなみに「はらだち」についてはこんなおさしづがありまして
心が澄んでいたら、そもそも腹が立たないそうです。
そう考えると、「腹が立つ」という状況は
「かなり心にほこりが溜まっている状態」
と言えそうです。
ここで、なぜ腹が立つのかを、少し深掘りしてみましょう。
なぜ腹が立つのですか?
という問いに対して、1番多い答えが
「自分の思い通りにならないから」
と答える人です。
「自分の思い通りにならない」
をもう少し噛み砕くと
「自分が当たり前だと思っている通りにならない」
になります。
これは、
自分がやって当たり前、
相手にしてもらって当たり前、
そう思っているもの、ことです。
例えば、
挨拶をして当たり前だと思っている人は、
挨拶しない人に腹が立ちます。
「お母さん、今日体育だったのに体操服入って無かったじゃん」
と怒る子供は、
お母さんが体操着を準備する事が当たり前だと思っているから、お母さんに腹を立てます。
「生意気だ」と、子分にキレるヤクザは、
子分は目上に気を使って当たり前だと思っているから、子分に腹をたてます。
相手に対して
「あれをしてほしい」「これをしてほしい」
と自分の気の向くままに思ってしまう
「ほしいの心遣い」
だったものが、
積もり重なりパワーアップして
「あれをして当たり前」「これをして当たり前」
と思うようになり、それが出来なければキレるようになる。
「はらだちの心遣い」は、
相手に〜〜してほしいと思う
「ほしいの心遣い」が
もっと自分勝手で自己中心的になった心遣いだと思います。
これは男性であれば、
どんな器にでも合わせて形を変えられる
「水の心」を失った状態。
女性であれば、
どんなものでも暖められる
「ぬくみの心」を失った状態
とも言えそうです。
どちらも相手を思いやる心遣いだという事を考えると、
「当たり前」という心遣いは、
「脊髄反射的に出てくる心遣い」なのだと思います。
冷静に第三者の視点で考えれば、
「相手を思いやる」
「相手の立場に立って考える」
という思いに至るはずですが、それができないのは、
「当たり前」は脊髄反射的に出てくるからではないでしょうか。
そう考えると、
自分の当たり前を相手に(自分自身に)押し付ける事が、はらだちのトリガーになっていそうです。
「思ってた通りにできない」と自分自身にイライラする事もありますよね。
そう考えると、当たり前を押し付ける事は、何も相手だけではなく、自分自身にもしてしまっている行いと言えそうです。
という事で
6つ目「シン・はらだちのほこり」は、
「当たり前を押し付けるほこり」
にしたいと思います。
おまけタイム
どーも!2人目の子供が産まれた男
ほこりまみれの信仰者こーせーです。
遅ればせながら、このnoteでも報告させていただきます。
9月26日に、次女が誕生しました!
パチパチパチ👏
これから家族4人で頑張っていきますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
皆さんのご祝儀待ってます!(大嘘)
さてシリーズ、高岡分会青年会総会ですが、
今回は祝宴会の「料理」
これを書かずして終わることは出来ません。
今回の総会では、世界的に有名な一流シェフ・マイクさんに来ていただきまして、全ての料理を作って貰いました。
予算からメニューから、無茶なお願いを沢山したんですが、最終的にめちゃくちゃ豪華なビュッフェが提供できました。
ちなみにマイクさん、
他の教会でもこんなイベントがあるなら、何処にでも駆けつけて下さるそうなので、もしご希望の教会があれば僕にメッセージください笑
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
ほな!