学振DC1に採択されるまでにやったこと
はじめに
令和7年度採用の学振DC1に採用内定したので、記憶のあるうちにやったことなどを書いておこうと思いました。
自分語りをするだけなのでどこまで参考になるかはわかりません。
学振DCが何か知りたい方はググればいくらでも出てくるので適宜調べるといいと思います。
所属・専攻
筑波大学の化学学位プログラムというところで、いわゆる理学系の化学専攻です。その中でも有機系の研究室に所属しています。
違う大学や違う専攻だと参考にならない話が多くなると思います。
やったこと・考えていたこと(ざっくり時系列順)
研究室配属前(~B3秋)
元々高校生の頃からアカデミアを志望していて、博士課程に進学することは決めていたのでこれに悩むことはありませんでした。
ただ、インターネットで博士課程・アカデミアの不安定さが頻繁に話題になるのを見てセーフティネット的に教職(中学・高校の理科教員)を取ったり、コロナ禍にAtCoderでプログラミングを始めたり、ついでに応用情報技術者試験を受けたりしていました。
研究室配属(B3秋~冬)
研究室選びは博士課程に進学するのであれば(そうでなくても)一番重要だと思います。
元々研究室紹介前までは他大学への院進も考えていましたが、良い研究室・指導教員と巡り会えたので配属先が決定した段階でそのままの研究室で博士課程まで進学することを決めました。
研究室を選ぶ上で重要視したのは主に、
・実験系であること(手を動かせば成果が出るところが好きなので)
・指導教員の人柄
・研究内容が面白いか
でした。最終的には、B1の時から自分らの学年を担当してくれていて人となりをある程度知っている現指導教員の研究室を選びました。この研究室は立ち上げたばかり(自分が2代目の学生)で、研究室紹介の際に博士進学を強くサポートすると話していたことも大きな決め手の一つになりました。研究内容は好みではありましたが、割と何でも楽しい、面白いと感じる性分なので他とそこまで大きな差があったわけではありませんでした。
現研究室を選んで結果的に(想定外に)良かったこととしては、
・教員が一人のみでやりとりが円滑であった
・立ち上げ直後で学生が少なく、贅沢と言っていいレベルの充実した指導と研究環境が得られた
・博士進学への本当に手厚いサポートがあった
ことなどがありました。
逆に悪かったことは特に無いのですが、自分と同様の選び方をした場合、一般に教員ワンマンの研究室や人数の少ない研究室というのは人間関係の問題が生じた際に逃げ場が少ないことがリスクになりうると思います。
また、ビッグラボは博士の先輩がいるとか学振のノウハウがあるとかそれはそれで強みはあると思いますが、実際に所属していないのでどっちがいいとかはわかりません。現状自分は今の研究室を選んで大正解であったと思っています。
研究をする・学会に出る・論文を書く・日常を過ごす(B4~M1冬)
普通に研究をしていました。モチベが高かったのでたくさん実験をしていました。偉いね。
指導教員との間で、学振を書く前に論文を1報出そうというのは配属直後から話をしており、それに向けてほどほどの着地点を探しながら研究を進めました。実際に論文にする結果が出たのはM1の6月頃で、すぐ7月くらいからまとめ始めました。Submitする雑誌は査読の速いものを(指導教員が)選びました。まず日本語で書いて、英語にして、その間何度も指導教員に直してもらってというのを繰り返して11月頭にSubmitし、12月半ばに査読が返ってきて翌1月頭に無事Acceptという流れでした。
学会にもたくさん行かせてもらい、M2頭の時点で口頭発表2件、ポスター発表5件(ポスター賞1件)の実績となっていました。
また、B4の終わり(3月くらい?)から博士課程でやる研究をぼんやりと考え始めました。指導教員の方針が博士は修士のテーマからは変えて自分で考えたテーマで研究するというものだったので、割と広い分野から論文を読んで考えていました(が、具体的な何かは何もありませんでした)。
他には、学振を書くことは初めから決まっていたので、飲み会などで近い分野の他の研究室の教授にアカデミアの話を聞くと同時に「学振書くんで添削してくださいよ~」というお願いをしておくなどしていました。
留学(M1・11月)
指導教員が「アカデミアに行くなら海外での研究経験は絶対にあった方がいい」と言うので(当然自分も強くそう思うので)機会をもらって留学に行きました。海外に行けるなら行きたいか?と聞かれてもちろんと答えたのがB4の5月くらいで、実際に行ける機会の話をもらったのはM1の6月くらいでした。
指導教員の入っている研究グループの海外との共同研究予算から渡航費と滞在先の宿泊費を出してもらい、1ヶ月間ドイツに滞在して共同研究先のラボで実験をしました。
研究テーマもダイレクトに自分のものというわけではなく、そもそも1ヶ月で得られる研究の進捗もたかが知れているので、かなり自分の経験のために行かせてもらった面が大きく、本当にありがたいことだと思います。実際、短くはありましたが得たものはかなり大きかったと思います。
また、1ヶ月海外に行くことで、それまでに論文をSubmitしようという疑似的な締切が生まれました。投稿論文は卒論や修論と異なり締切がないため、ダラダラとしてしまいがちです(実際にそういう例を多数観測している)が、これによって進捗管理の面でメリハリがついて良かったです。
先輩の申請書をもらう(M1・1月末)
知っている先輩で博士課程に進学する、または在学している人全員に「学振出しましたか?先輩の申請書見せてもらえませんか?」と連絡しました。サークルの先輩が主で同じ化学系の先輩はいませんでしたが、DC1に採択されている人を含む複数の先輩から申請書を送ってもらいました。採択されている先輩の申請書は明らかにクオリティが高く、自分にこれが書けるのかと心が折れかけるイベントがありました。
また、化学系の知り合いがいなかったため人づてに他の研究室のポスドクの方に連絡して申請書をもらいました。この方にはその後自分の書いた申請書の添削もして頂きました。
他の人の申請書は、特に書き始めの何から書けばいいかわからず写経でいいからまずは埋めよう、というタイミングで一番役に立ちました。また、採択されている先輩の申請書は図のレイアウトや本文の体裁、自己PRの部分など最後までずっと本当に参考になりました(これがなかったら通っていないと思います)。
自分の年は3月5日から大学の事務室で過去の採択された申請書が閲覧できるサポートがありましたが、自分は結局活用することはありませんでした(多分行った方が良かったと思う)。
学振本を買う・読む(M1・1月末)
東工大の大上先生のいわゆる学振本を買って読みました。研究室に2016年発行の第1版はありましたが、ケチる理由もないなと思い改定第2版を買って通読しました。
凄く役に立った!というよりはこれを読まないとスタートラインに立てないのではないかという感想です。早めに学振の要項と一緒に読むといいと思います(自分の年は2月頭くらいに要項が公開されましたが、自分は前年度の要項も読みました)。要項は毎年少しずつ変わっているので本だけではなく要項を熟読した方が良いです(後述)。
また、申請書のサンプルも載っていますが自分は先述の先輩からもらった申請書のクオリティが非常に高かったためにあまり参考にすることはありませんでした(一応全て読みましたが)。
以下に本のリンクを貼っておきます。
博士課程での研究テーマの決定(M1・1月末~3月頭)
B4の終わりごろからぼんやりとやりたいことを考えていたため、ざっくりとやりたい研究の方針は立っていましたが、具体的なプランは完全に未定でした。
この時点では、研究室でこれまでにやっていない分野のアイデア(案A)と、研究室の流れを汲んだ方針(案B)の2つの方針がありました。そこで、1月末に案Aの具体的な研究計画(先行研究、研究の立ち位置、分子設計など)をざっくりと20ページくらいにまとめて指導教員に相談しました。結果、案Aは研究室内にノウハウがないので予備実験を進めつつ、A,B両方で申請書を書いて良い方を出そうということにしました。
申請書を書き始める(M1・2月半ば)
募集要項が2月頭くらいに公開されたので、全てをダウンロード・印刷してひと通りじっくりと目を通しました。
その後、ひとまず先述の案Aの申請書を書き始めました。特に、"研究遂行力の自己分析"や"目指す研究者像"などは共通で使えたので、ここから書き始めました。しかし、本当に全く筆が進まなかったため、先輩の申請書をコピペしてそれを自分の話に合うように修正するところから始めました。また、実績欄など考えることの少ないところを一通り埋めました。
電子申請システムのID・パスワードの発行(M2・3月頭)
とても大事です。
3月頭から可能でしたが、自分は申請書が形になり始めた4月頭にやりました。早い方がいいと思います。
これを忘れて出せなかったというのをインターネットで見ました。
申請書を書く(M2・4月半ば~)
4月に入ってからは研究室に新人が増え、日中はそのサポートで集中して作業できる時間が取れなかったため、主に平日の20~26時と休日に申請書を書き進めました。4月から申請書提出までは実験など他の研究活動は完全にストップしていました。
忘れもしない4月7日に先述の案Aの予備実験の結果から研究計画がうまく行かないことが発覚して爆散したため、ここから案Bの申請書を書き始めました。と言っても案Aの申請書も大して進んでいなかったのでそこまで大きな痛手ではありませんでした。日曜の午後9時に研究室で計画が爆散したことに気付いた瞬間はもはや気持ち良かったです。
案Bの申請書は2週間ほどかかって4月21日になんとか最低限形になり、ここで初めて指導教員に見せました。「このままだと落ちるね」の言葉と共にたくさん指摘を貰い、一週間で指摘事項をおおよそ直して4月末に再度指導教員に見せました。また、このタイミングで話を通してあった隣の研究室の教授と他の研究室のポスドクの先輩、それと恋人に申請書を送り、添削をお願いしました(他の研究室の人に見せて良いかは早い段階で指導教員に確認を取ってありました)。全員から別々の箇所で至極正しい指摘を大量に受け、正しいなあと思いながらさらに直しました。ここからぐっとマシになったと思っています。
当然GW中は毎日パソコンとにらめっこを続けました。GW明けまでは2~3日おきくらいに指導教員とポスドクの先輩に修正版を送って添削してもらうことを繰り返し、ブラッシュアップしました。
GW明けの5月8日に学内の一次締切があり、この時点でもうこのまま出してもいいかな、という状態にできていました。一次締切は事務事項の確認で、本文はその後も修正可能であったため、知り合い5~6人にコメント・誤脱字のチェックなどを頼み、最終締切の5月17日までに体裁などを直して提出しました。
申請者情報の登録(M2・4月末)
特に言うことは無いのですが、これくらいの時期にやりました。早い方がいいと思います。
自分は氏名にJIS第4水準の漢字が含まれているためこういった登録やその他事務手続きにトラブルが起きやすく、ハラハラしましたが何とかなりました。
評価書の下書きを書く(M2・GW明け)
まず、4月末くらいに教員に宛てて電子申請システム上で評価書作成依頼を出しました。急ぐ必要はないですが早めにやった方がいいと思います。
評価書は教員側で提出するものですが、自分の研究室ではおおよそ書く内容の下書きを指導教員に渡して、これを基に教員が書いて提出する形でした。これは教員によってやり方は異なると思います。
評価書の締切は申請書よりも後であったので申請書本体が形になってから書きましたが、教員に書いてもらうものなので締切ギリギリにならないように(1週間以上の余裕を持って)教員に下書きを提出しました。
内容の骨子は"研究遂行力の自己分析"とあらかた同じで、エピソードを一部変えるような形にしました。
予算明細の入力(M2・GW)
申請書本体がある程度形になってから、指導教員に添削を頼んでいる間など手が空いているときに入力を済ませました。
指導教員の科研費の申請書や先輩の学振申請書などを参考にして妥当そうになるようにしました。
researchmapにアカウントを作る(M2・GW)
申請書を書くにあたって業績をまとめたので、そのままresearchmapのアカウントを作りました。GWに作りましたが7月末くらいまで公開設定を忘れていていました。これが役に立ったかはわかりません。研究室のメンバー一覧から飛べるようにしてもらいました。
落ちたらどうしていたか
まず、自分の所属では博士課程の学費が全額免除になります。加えて、内部進学者は入学金も免除になります。これは金銭面での不安をかなり小さくしてくれていました。
筑波大学はJST SPRINGに採択されているので、これに出すつもりでした。
詳しくは大学毎にホームページなどがあると思いますが、学内で応募して通ると研究費と生活費が貰えるものだと認識をしています。採択率が学振よりも高いので、DC1に落ちてもこっちは大丈夫だろうと考えていました。
また、笹川科学研究助成への申請も行う予定でした。
こちらは生活費はもらえませんが、大学院生が受給できる研究費としてはかなり額の大きいものになります。しかし、学振との併給はできません。
ちなみに令和7年度助成の受付期間は9月17日~10月15日で、学振の結果発表は9月27日でした。
申請書を書くときに意識していたことなど
この項は思い出したことの書き散らしです。逐次追記します。
・指導教員には「図を作れば本文はそれに合わせて書けるから図から作ると良い」と言われましたが、脳内は図が作れるほどまとまっていなかったため文章と図を交互に書き進めました。
・文章は同じ文を推敲していくのではなく、一度書いた文章を残したまま新しい文章を書いてみて、最後にいいところを合わせる形でさらに書き直して改善していきました。
・よく言われることですが、申請書のストーリーを意識しました。
・後半の自己PR部分について、始めはポエムを書いていましたが、指導教員に「研究遂行力を問われているので、これまでにやってきた研究のことを書けば十分」と言われてそうだなぁと思って直したら良くなりました。でももったいなかったのでポエムも少し残しました。
要項の最近の主な変更点
先述の学振本と比べて、要項に変わっている点が複数あったので、主なものをまとめておきます。学振に出す人はこれを信頼せず必ず自分で要項を熟読してください。
・申請書がカラーOKになった。ただし、審査員にはモノクロ印刷の紙媒体とカラーPDFが送付されるためモノクロ印刷に耐える程度の色使いが必要。
・予算のダブルアップ枠ができた。通常3年間で最大240万円の研究費が支給される(区分A)が、一部のみ最大480万円になる(区分B)。区分Bで出す場合は区分Aで通った場合の研究計画も記載する必要がある。Bに落ちたらAもダメ、というシステムではない。
・採択者の中で採択後の業績が優秀な者は最終年度に奨励金が月3万円UPする。
他に思い出したら追記します。
参考になった情報など
・学振本
上述しましたが、読んだら受かる本ではなく読まないと大体落ちる本になっていると思います。
・科研費.comとそのXアカウント(@kakenhi_com)
やる気が出ないときに読んでいると何かした気持ちになれて良かったです。これを読んで何がよかったみたいなのは記憶にないですが、多分既に血肉になって思い出せないだけで活きていると思います。
・noteなどインターネット上の記事
あえて探しはしませんでしたが、タイトルに学振と付いた記事が流れてきたら読んでいました。個人の体験は専攻が違うことも多くあまり参考になりませんが、通っている人の共通部分を見るとかすると割と参考になると思いました。
感想
恵まれた環境で十分な時間をかけて準備をしたので、採用内定をもらった時は喜びよりも安堵が大きかったです。
よく言われる通り、やはり一番大きいのは論文の有無じゃないかと思いました。申請書のクオリティ面は採択された先輩の申請書と、複数の先生・先輩からの添削でどうにかなりました。指導教員を始めとしてお世話になった方には本当に頭が上がりません。
採択されたところが頂点にならないように頑張りたいですね。
申請書を書いている期間恋人を放置していたら大変機嫌を損ねてしまいました。今後研究活動と一般的な人生タスクの両立について思索を巡らせようと思います。
今口座と財布に合わせて1000円も入っていないので乞食をして終わります。
この先には自分が好きなラーメン屋がいくつか書いてあります。
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