妖艶な踊り子の誘惑|創世の竪琴・その45
「気がついたかの?」
気がついたイルの目に写ったのはジプシーの老婆。
「な、渚は?・・・痛っ!」
慌てて起き上がったイルは、脇腹に激しい痛みを覚え、そこに手を充て、再び倒れ込む。
「ほれほれ、急に動かんことじゃ。
脇腹を切られておるんじゃからの。また傷口が開いてしまうぞ。」
老婆が心配そうに動こうとしたイルを止めた。
「渚・・・渚は?」
イルは幌馬車に乗せられていた。
振動と幌馬車を引く馬の蹄の音がしていた。
老婆の他には荷物だけで、渚の姿はどこにもなかった。
イルは自分の事などどうでもよかった、ただ渚の事だけが心配だった。
「残念じゃが、お連れの娘さんは山賊共に連れ去られてしまっての・・・。」
「そ、そんな・・・。」
イルのその目は驚きと悔しさで大きく見開かれていた。
そして、思い出していた、自分の術が誰か別の術師によって遮られた事を。
「く、くっそぉ!こんな事していては!渚を助けなくては!」
老婆の制止を跳ねのけ、イルは起き上がろうともがいた。
が、極度の疲労感と虚脱感で眩暈がし、動けない。
「無理せんほうがいい。
お前さんは丸一日高熱を出して寝込んでおったんじゃからの。」
「ま、丸一日・・・・じゃ、じゃ渚は?」
「分からん・・・。わしらも荷物が半分になってしまった。
子供や年寄りは森やそこらに隠れて何とかなったが、男や女たちは傷だらけじゃ。
最も女たちにとっては、さらわれるよりはいいがの。
おお、こりゃ、すまん・・団の女たちはみな男装しておっての。
狙われやすいからの。
じゃから、お前さんのお連れさんは願ってもない獲物になってしまったんじゃろう。
・・奴らに術師さえおらなんだら、こんな事にもならなかったんじゃが。
いくら腕が立っても魔法には負けるでの・・・こんな事は始めてじゃ。」
「ここには術師は、いないんですか?」
「いたが、先月亡くなっての。
わしの連れ合いじゃった。
孫が少しは使えるんじゃが、あいにくと今はおらんのじゃ。
あの娘にとっては良かったと言えるじゃろうがのぉ。」
イルは焦った。あれから丸一日たっているということは・・・。
「渚を助けないと!」
痛みを堪えなんとか起き上がったイルはそのまま馬車を下りようとした。
「無理するのではない。
急いだ所でどうなるのじゃ?場所は分かっておるのか?」
はっとしたようにイルはその場に止まり、座り込んだ。
どうしていいか分からなかった。
「もうすぐタタロスの町じゃ。わしの孫が先に来ておるでの。
回復魔法くらいできる。もう少しの辛抱じゃ。
折角わしらを助けてくれようとしたのに・・・気の毒な事になってしもうて・・・・。」
イルは老婆のうなだれた姿に言うことがなくなってしまっていた。
「おばば!山賊に襲われたって?」
タタロスの町に入ると、まだ馬車が止まらないうちに、1人の女が顔色を変えて駆け込んできた。
赤毛だが柔らかそうな長い髪、大粒な緑の瞳でイルより5つくらい年上に見えた。
「おお、ファラシーナ・・・」
老婆は嬉しそうな顔をしてファラシーナを迎えた。
「さっそくじゃが、この人を治してくれないかの?
わしらを助けようとして大怪我をされたんじゃ。」
「ああ、いいよ。」
ファラシーナは横たわるイルを見ると、すぐ回復呪文を唱えた。
「ありがとうございます。」
起き上がり礼を言うイルを見てファラシーナは薔薇の大輪のような微笑みを投げかける。
「どきっ!」
その艶めかしさにイルは焦った。
ファラシーナは、そのジプシー団の舞姫として名を馳せていた。
美人の上、その豊満な肉体から匂いたつ色香に、今までどれほどの男たちが虜になったであろう。
それに加えて、彼女は部類の男好きだった。
ここタタロスに先に来ていたのも、男を追いかけての事だった。
「ふ~ん・・・あんた、なかなかいけるじゃないか・・・ちょいと年下みたいだけど、あたい好みだよ・・どうだい、ぼうや、今晩?」
「あ・・あの・・」
「かっわいいねぇ~・・・・」
戸惑っているイルにファラシーナはますますその気になった。
「ファラシーナ!」
老婆がそばに置いてあった杖で彼女の頭を叩いた。
「いったぁ・・・」
ファラシーナは叩かれた頭を押さえ、老婆を見る。
「まったく、この子は!この人にはもういい娘がいるんだよ!」
「なんだい、もういるのかい?」
がっかりしたように言うファラシーナだったがすぐに何か閃いたように目を輝かせてイルを見た。
「でもここにいないんだろ?じゃ、いいじゃないか・・・あんた、名前は?」
おばばが怒っていることも無視してイルに詰め寄ってきた。
「イ、イオルーシム・・・。」
「へぇ、イオルーシムって言うの?」
「ファラシーナっっ!!」
「はいはい・・・・。」
ファラシーナは邪魔者がいては仕方ないと諦めたのか、馬車を下りて行く。
そして、馬車はいつの間にか彼らが逗留地に予定していた町外れにある広場の一角に着いていた。
「イオルーシムとか言ったの。
わしはシュメと言うこのジプシー団の占い師じゃ。
で・・どうなさるおつもりじゃの?ジプシーが襲われたくらいじゃ、町の人間はなかなか動いてはくれんからの。」
シュメは悲しそうに、すまなそうに言う。
「勿論、渚を助けに行きます。身体さえ治れば、どうって事ないです。
俺1人でも大丈夫です。」
「そうか・・行きなさるか・・じゃ、ちょっとお待ちなされ・・・」
老婆は後ろの荷物から水晶玉を取り出した。
ようやくイルはこの老婆こそがニーグの村長が言っていた占い師だと気づいた。
「水晶の精よ・・・」
老婆はその水晶の上に両手をかざすと精神を集中し始めた。
「水晶の精よ、我が呼びかけに応えよ、我が願いを聞き届けよ・・・娘の居場所を、我に示せ・・・渚という名の娘の居場所を・・」
ゴクリ…イルはつばを飲み込んで水晶球を見つめていた。