乙女の危機に勇者現る?|創世の竪琴・その50
翌日、渚は朝食を終える早々、ジプシー団を後にした。
早くリーに会って、神龍の所へ行かないと、とも思っていたが、実のところ、渚の頭のなかはイルが昨夜来なかった事の方が大きく占めていた。
渚が夕方、町に来たというのに、イルが町に着かないはずはない。
考えられる事は、町の宿の何処かに泊まったという事。
もしかして、ファラシーナと一緒に?という考えが頭を過り、昨日の反省もすでに何処へやら、渚は頭に血が昇って冷静さを欠いていた。
-ドシン!-
「あっ、ごめんなさい。」
急いで走っていた為、渚は街角で男とぶつかってしまった。
背の高い少し目つきの悪い男だった。
渚はやばい、と思い、慌てて謝ると小走りに通り過ぎようとした。
「おい、ねぇちゃん・・」
男は走り去ろうとする渚の腕を掴んだ。
「な、なんですか?」
「ごめんなさい、で済ますつもりか?怪我でもしてたら、どうすんだ?」
渚は思った、こんながっしりした男は自分が思いっきりぶつかったって痛くも痒くもないはずだ、と。
が、そこは、自分がぶつかったのと、それとその男が恐かったのと両方で、今一度謝ることにした。
「す、すみません。これから気をつけます。」
「すみません、で済みゃ、軍隊はいらねえんだぜ。」
男はぐいっと渚を引き寄せた。
「で、でも、別にぶつかろうとしてぶつかったわけじゃ・・・・。」
「そうかい、じゃ、許してやろう。」
男がそう言ったので渚はほっとした。
が、なかなか手は放してくれない。
「あ・・あの・・・」
「しばらく俺の看病でもしてくれりゃあな。」
にたぁと笑うとその男は渚を引っ張り歩き始めた。
「ちょ、ちょっと・・・手を放してよっ!どこも怪我なんかしてないでしょ?看病する必要なんてないでしょっ?」
渚は何とかその手を振り払おうと必死で抵抗した。
が、痛いほど握られ、振りほどけそうもない。
回りの通行人は素知らぬ顔をしている。
(ど・・どうしよう?・・イ、イルぅ・・)
渚はいつの間にか心の中でイルを呼んでいた。
「なかなか気の強そうな女だな。
ま、1人で歩いてるくらいだからな。へへへ。」
男のその笑い声に渚はぞっとした。
「あんたのぶつかったここが痛いんだよ。」
男は、にやにやして、渚がぶつかってもいない自分の股間を指した。
(ま・・・まさか・・・?)
そのまさかだった。
男の歩いていく方向には宿屋がある。
(あ、朝から悪い冗談はよしてよっ!)
「放してよっ!放してっ!」
どうあがいても男の手から抜けないと思った渚は、思いっきり男の腕を噛んだ。
噛むのも不潔だと思ったが。
「いっ、いってぇっ!このアマっ!」
男が怯んだ隙に、渚は反対方向に必死で走った。
が、男もそう簡単には逃がしてはくれない。
すぐ捕まってしまう。
「このアマあっ!」
前よりもきつく腕を捕むと、男は平手打ちを加えようと右手を高く上げ、渚はぎゅっと目を瞑った。
(殴られるっ!)
が、その手はなかなか振り下りて来ない。
恐る恐る渚が目を開けると、イルが男の腕を掴んでいた。
「な・・何だ、この野郎?」
「その娘は俺のもんなんだ。勝手な事してくれちゃ、困るな。」
男は渚を掴んだまま、イルの手を振りほどくと怒鳴った。
細身のイルでは大したことないと判断したらしい。
明らかに馬鹿にしたように男はイルを見ていた。
「どこに証拠があるってんだ?あん?あんちゃんよお?」
「ここに・・ね。」
「どこだ?」
訝しがる男の鳩尾に、イルは透かさず一発拳を入れた。
「ぐっ、や、野郎っ、俺とやろうってのか?」
男は鳩尾を押さえ、叫んだ。
とその時、イルの片手に燃え盛る火球を見た。
その途端男の態度が変わる。
「な・・なんだ。術師だったのか・・・そ、それは・・どうも、失礼を・・・。」
男はそそくさと去って行った。
「イル・・・あ、ありがとう。」
渚は昨日の事もあり、言いたくなかったが、イルが来なければどうなっていたかと思うと、礼を言わずにはいられなかった。
「だから、俺から離れるなって、言ってるだろ?」
イルは手の火球を消すと渚を睨んだ。
相当ご機嫌が悪いようだ。…当たり前だが。
「・・・・・」
イルの不機嫌さに押され、渚はいつものように言い返せなかった。
「でもどうしてあの人、すぐ引き下がっちゃったの?」
「術師は一目置かれるんだ。
水か氷魔法で対峙できるならまだしも、普通人には魔法は防ぎようがないし、もしその時は良くても後で呪いをかけられるとか考えたら、恐いもんな。
同業者でもなけりゃ、術師を相手に喧嘩をする者はいないというわけさ。」
ふ、ふ~ん・・・。」
「だから、渚、俺のそばから離れるんじゃないぞ!分かったな?!」
「・・・・・」
本当はファラシーナとの事を聞きたかった渚だが、ここはイルを立てるしかないか、助けてもらったんだし、と思い黙って頷いた。