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チンゲン革命(2)

あらすじ
創価学会の家庭に生まれ、物心がつく頃には邪宗を恐れるカルト感あふれる子に育った若本。そのカルトっぷりとは?…

親の実家(真言宗)に行けば、仏壇に向かって「ジャシュー!」と叫ぶ。
友人と道を歩けば、キリスト教の教会を指して「あれはいけないものだよ!」と言って謗法禁断を説く。
それが幼児の私だった。

神社の鳥居をくぐるなどもっての外である。
私くらいになると、そもそも神社に近づくことすらしない。リスクマネジメントというやつだ。

とは言え、世の中には回避できないリスクというのがあるものだ。
神社というワードから思い出される定期イベントがある。

母は、私と弟を連れて自転車で買い物に行くことが多かった。
行き先は色々なのだが、イトーヨーカドーに行くルートは厄介だった。
神社の側道を通られねばならないのだ。

この時、前を走る母は振り返りこちらを見て、私たちに聞こえる大きな声で号令するのだ。
「息を止めなさい!」
神社の邪気を体内に入れないためなのだろう。

私と弟は、顔を見合わせて笑いながら息を止めていた。
弟がどうだったかは分からないが、私は半分笑いながらも、残り半分は神社の悪影響のようなものを信じていた。
いま思えば実にアホくさい話なのだが、当時の私はしっかりと神社を毛嫌いしていたのだ。

どうやら、この迷信的で非科学的な空気感は、我が家に特有なものというわけではないらしい。
ここで私の同級生に登場いただこう。彼の名を浜垣君という。拍手で迎えてやって欲しい。

お察しの通り、私は友人が非常に少ない。同級生でいまも付き合いがある友人は浜垣君の一人だけだ。
彼も創価学会員で、小中高と同じ学校である。
そして、高等部になると地域の部長・副部長として二人三脚で地域の学会活動に勤しんだ。

高校生でバリバリと布教活動をするような会員もいるのだろうが、我々はそれほどではなかった。
だから物凄く熱心というレベルではないものの、それなりに活動家ではあったと思う。
それとは別で、浜垣君とはエロビデオを一緒に探しに行った仲でもある。あれはなかなかのスリルだった。それがどういうことだ現代は。何の苦労もなくスマホからちょっとタップするだけでハイレヴェルな素材にありつけるという気軽さ。どうかしてるぜ。

そんな私たちが大学生の頃の話だ。
普段は自分の父を誇らしげに語る浜垣君が、寂しそうにこう言ったのだ。
「俺の親父、地域行事で神輿を担いだんだって…。」

私は、その時の彼の表情と話しぶりを忘れることができない。
身内の犯罪でも告白するかのような、暗い表情。どこか諦めを含んだ表情。
彼も我が家と大差ない文化で育ったことを、私は知った。

日本に生まれて日本に育ったのだから、神輿を担ぐなど何の問題もない行為である。地域行事への貢献が目的なら、なおさらだ。
そのように何の罪もない親の行為について、子が罪悪感を抱えねばならない。
異常だ。

おそらく、それは親の側から見ても同じだろう。
子が謗法を犯してしまうのではないかと恐れ続けて生きていく。
もう一度書くが、異常だ。

他宗教を邪宗と呼んで、覚せい剤か何かのように扱うんだよ。誤った宗教を信じると心が蝕まれるとか言って。
人を依存状態に漬け込んでるのはどこの誰かと。
物凄く異常だ。

おい、読んでるのか創価学会の幹部よ。諸君が社会に残した爪痕はこういうものだぞ。平和だ文化だと偉そうなテーマを掲げながら、育成したのは大量の宗教否定クソゾンビだ。その犠牲の上で得られるマネーで食べる飯は美味しいか?そうか。美味しいか。へぇ。

このような「異常な謗法嫌い」にまつわる話は枚挙に暇がない。
久々に親に登場願おう。

今では他宗教の悪口も言わず、クリスマスケーキを楽しむような親なのだが、私が子供の頃は両親とも他宗教を毛嫌いする発言をちょくちょくしていた。

「あそこの家は真言宗だから長男が立たない…」などは、昭和の創価で良く聞かれた発言ではないだろうか。
本当に気味の悪い発想なのだが、小学生でも覚えてしまう程度にはよく聞かれたフレーズである。

邪宗を嫌悪する発言は、そのような世間話だけに見られるものではない。
例えば、テレビだ。

私の両親はサスペンス劇場的なドラマが好きだ。
サスペンスなんてのは基本的に人が死ぬ話なので、葬式のシーンも流れる。そこでは当然、邪宗の読経が聞こえる。
すると、親は「うわ、嫌だね…」と言ってチャンネルを変えるのだ。

そんでさ、読経が終わったタイミングを見計らってチャンネルを戻すんだよ。
もういいだろと。
チャンネル変えたのだから、その番組を観れば良いじゃないかと。なんでわざわざサスペンスに戻すんだよ。もう良いよ犯人は自首したよ。

そうまでして観たいものなのか?サスペンス。
実在しない犯人が実在しない人を殺して、実在しない探偵が原因追及して、崖の上で説教を垂れる。
それを、良く知らない人たちが演じている。

何が楽しいのか私にはさっぱりわからん。
おっと、サスペンスの悪口になってしまった。

こんな話もある。
当時、日蓮正宗創価学会に敵対的なコメンテーターや政治家が今よりも多くメディアに出ていた。
彼らは創価学会の問題点を追及しようと厳しい言葉で責め立てるわけだが、時には彼らが亡くなることもある。
すると、故人を悼むよりも先に「謗法をしたからだ」と普通に言ってのけるのだ。

普通の感覚からすれば、これは死者に鞭打つ行為なのだろう。
しかし、発言主はそれが慈悲からの言葉だと本気で思っている。

「広宣流布がもっと進んでいれば、日本が池田先生を認めていれば、この人は正しい仏法に出会えたはずだ。そして、こんな不幸な目に遭わずに済んだのに。仏法に出会うどころか、知らず知らずのうちに仏法を誹謗してしまった。何と恐ろしく痛ましいことか」という思考である。

部外者から見れば呆れるほど幼稚な思考回路なのだが、本人は至って真面目である。

両親とも、そのような思考に馴染んでいたのだろう。
普段は優しいし、宗教以外の話なら普通に楽しく会話できるのに、邪宗に対してはとにかく厳しいのだ。

私は、そのような思考・言語に浸かって育った。
家にある絵本は「日興上人」や「戸田先生」といった、宗教ネタを扱ったものである。
だから、私はいまだにネコが何万回生きたのかを知らないし、ぐりと何なのかも知らない。
鬼を倒した正義の桃太郎は青年部員だし、お金が好きな金太郎は宗門の坊主だと思っていた。

そんな素敵な環境で育ったのだから、私が立派な狂信者になったのも頷けるというものである。

「神社は怖い。仏像は気持ち悪い。日蓮正宗の御本尊以外は全て悪であり全て敵。」という感覚。
宗教的潔癖とでも言えば良いのだろうか。

あらゆる他宗教を敵とみなし危険視し、それを信じる全ての人を「可哀そうだ、いつか救わねば」と考え続ける。
今にして思えば異常さ極まる思考なのだが、日蓮正宗創価学会の少年としてはむしろ優秀だったのだと思う。

そんな異常な潔癖性が人格にも影響したのか、少年の私は真面目だった。
とにかく正しさを好む人間であり、人の悪口を決して言わず、嘘つくことを極度に恐れた。
普通に日蓮正宗も創価学会も「清く正しくあれ」的な指導をするので、その効果もあったのだろう。

もう少し日蓮正宗や創価学会に寄せた言い方をすれば、
「正しい信心をすれば、不思議と謗法/邪宗を避けるようになり、自然と清く正しい生き方になっていくのだ」
ということなのだろう。

当時の私にとって、正しさの極致は戒壇の大御本尊であり、日蓮大聖人であり、日蓮正宗だった。

ちなみに、親はゴリゴリの池田ファンなのだが、私はそのノリには興味を持てなかった。
池田氏はあくまでも俗側の指導者であって、聖性は宗門にのみ見出していた。
その点、同世代の創価学会2世として私はやや特殊だったかも知れない。

そんな少年若本にある日、とんでもない衝撃が走るのだ。

それは…次回に続く!

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