ウクライナ平和の鐘 081 ニーバーの祈り
■2022(令和4)年6月15日 081 ニーバーの祈り
(動画の3:15~7:12)
本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。変えるべきものを変える勇気、変えられないものを受け入れる冷静さ、そのふたつを見分ける智慧。それは、戦争の起きている今こそ、私たちに必要なものです。
合掌
ラインホールド・ニーバーは、二十世紀のアメリカで活躍したキリスト教神学者です。彼の祈りの言葉は、若い頃からずっと、私の胸に響いています。
ここで語られていることは、仏様の教えととても似通っています。世の中は理法(ダルマ)に沿って動いている。例えば、時間は必ず未来へ流れていくし、他人の心を自分の思いどおりに支配することはできない。永遠に死にたくないと願っても、人はいつか命を終える。そのような、人間にはどうしようもないものを、くよくよ悩んでも苦しみが増すばかりです。変えられない理法をあるがままに受け入れること、これが苦しみを取り除く仏様の教えの一番根っこにあります。
一方で、私たちが「変えられないもの」と思い込んでいても、それは理法ではなく人間の慣習や文化であったり社会的な決め事に過ぎない場合もあります。慣習・文化・社会規範は大切なものですが、もしそれが差別や偏見など理不尽な苦しみを生むものであるならば、より調和的なものに変えて行く必要があるでしょう。
そのために必要なのが智慧です。世の理法がどのように働いているか、理法ではなく人間の意志で変えていけるものは何か。そのふたつを見分けて、自分が欲望してもどうしようもないものは受け入れて生きること、改善すべき理不尽は積極的に勇気をもって変えていくこと。それが仏様の教えを信じる者の生き方です。
ロシアはウクライナという他人の国を自分の思い通りにしたいと思って侵攻しています。それは理法に反する行いです。世の理法を無視して、自分の欲望で無茶な悪業を積んでいるわけです。
一方でウクライナの人たちから見れば、ロシアの無法行為により多くの人が命を喪い、財産を失う現実は、変えるべき理不尽です。それを食い止める勇気と意思をもって、ウクライナの人たちは侵略者と戦っています。
何が変えるべきものなのか──変えるべきものを変える勇気。何が変えられないものなのか──変えられないものを受け入れる心の冷静。そして、そのふたつを見極める智慧。これが今私たちに必要なものです。
再拝