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平和の鐘と唱題 742 東京原爆裁判

 YouTubeライブ配信「平和の鐘と唱題」は、毎日14時(ウクライナの朝8時)に戦争終結と世界平和を祈り、ひとこと法話を行うものです。
 ネタバレ注意/今回の記事及び動画には、NHK連続テレビ小説「虎に翼」の今後の展開に関わる史実情報が含まれています。

■2024(令和6)年8月14日 742 原爆裁判

(動画の2:48~)

 今から読み上げるのは、昭和38年に東京地方裁判所が出した判決文の一節です。

広島市には約33万人の一般市民が、長崎市には約27万人の一般市民がその住居を構えていたことは明らかである。したがって、原子爆弾による襲撃が仮に軍事目標のみをその攻撃の目的としたとしても、原子爆弾の巨大な破壊力から盲目襲撃と同様の結果を生ずるものである以上、広島、長崎両市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当である。

下田事件(東京原爆訴訟)東京地方裁判所判決

 この文言からわかるように、広島・長崎への原子爆弾投下について世界で初めて国際法違反であるとの評価を下した判決とされるものです。

 この東京地方裁判所判決に裁判官の一人として参加をしていたのが、三淵嘉子さん。今のNHK連続テレビ小説「虎に翼」の主人公のモデルとなった女性初の弁護士・裁判官です。

 今朝の「虎に翼」の終盤、私は声もなく見入っていました。新潟から東京に戻ってきた主人公が、ある重要な訴訟案件を扱うことになった。それがこの原爆裁判だったのです。当時、既に日本はアメリカと講和条約を結んでいました。ですから、もはやアメリカに対して被爆者たちの損害賠償を求めることは、法的にできない。だから、代わりに日本政府に対して請求するという、いかにも困難な裁判であることが、短い的確な脚本の中で伝わる内容でした。

 先ほど読み上げたのは、その原爆裁判判決文の一節です。判決主文はもちろん棄却、損害賠償請求が認められなかったということです。先ほど言った講和条約の問題などもあるので、致し方のない結果と思います。

 ただ、この判決の重要な点はそこではないんです。まずひとつには、先程読み上げたように原爆投下を国際法違反であると明確に宣言したこと。そしてもうひとつ、この判決が社会に大きな影響を与えた点があります。関連するところを読み上げます。

 人類の歴史始まって以来の大規模、かつ強力な破壊力を持つ原子爆弾の投下によって損害を被った国民に対して、心から同情の念を抱かない者はないであろう。戦争をまったく廃止するか少なくとも最小限に制限し、それによる惨禍を最小限にとどめることは、人類共通の希望であり、そのためにわれわれ人類は日夜努力を重ねているのである。

 国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことはとうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。

 しかしながら、それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である。しかも、そういう手続によってこそ、訴訟当時者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講じることができるのであって、そこに立法及び立法に基づく行政の存在理由がある。終戦後十数年を経て、高度の経済成長をとげたわが国において、国家財政上これが不可能であることはとうてい考えられない。

 われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおれないのである。

下田事件(東京原爆訴訟)東京地方裁判所判決

 これが何を意味するのか、法律や行政に詳しくない方のために少し補足説明します。日本では三権分立、法律を定める国会、それを執行する行政、そしてその適正をはかる裁判所の三者がそれぞれに独立しています。その中で、世の中の紛争の全てを裁判で白黒つけてくれるかといえば、残念ながらそうではありません。司法権の限界と呼ばれるものがあり、今の文言はそのことを前提にしています。

 国際法違反の原爆投下によって、被爆者の人たちは今もなお苦しんでいる。しかし、その問題に司法権によって決着を付けること(裁判所が法に照らして損害賠償を認めること)はできない。なぜならそれは、立法府の問題(被爆者を支援する法律を定めないこと)、行政府の問題(そのような行政を行わないこと)なのだ。だから、立法府、行政府よ、しっかりしろ──ということを、判決文の中で裁判所が述べているのです。

 この判決を一つの大きなきっかけとして、原爆特別措置法(現在の被爆者援護法)の制定、そして今も続く被爆者支援の行政活動が行われるようになりました。その意味で、損害賠償請求という裁判には負けても、原告の訴えを裁判所はしっかりと受けとめてその社会的役割を果たした、そう思います。

 戦争の巨大な惨禍は、戦争が終わればなかったことになる、わけではありません。何年経っても、何十年経っても、令和の今もなお、その時の傷で苦しんでいる人はいる。だから、そうした人たちを支える法律があり、行政活動があるのです。

 戦争なんてろくなもんじゃありません、二度と起こしてはならない。そのことが、この判決文からも強く強く感じられるところです。

 この原爆裁判は8年もの長期間にわたりました。ですから「虎に翼」でも今後長丁場で取り上げられるのではないかと予想しています。判決の結論は史実に沿ったものになるでしょう。しかし、そこに至るまでの裁判官、被爆者と支援者、おそらくは行政側も含めて、この難しい問題にそれぞれにどのように向き合って懸命に考えたのか、それがおそらくドラマで克明に描かれる筈です。私はそれを見つめ続けたい、そう思います。


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