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ウクライナ平和の鐘 052 一瞬の心の可能性
■2022(令和4)年5月11日 052 一瞬の心の可能性
(動画の3:00~6:38)
本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。人の一瞬一瞬の心は、地獄の底から仏様の高みまであらゆる可能性を秘めています。それなのに、極限状態で人を地獄・餓鬼・畜生・修羅に追い込むのが戦争です。この状況を変えねばなりません。
合掌
この毎日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」では、お題目の後に祈念言上しています。
その中に「ウクライナ戦乱犠牲者及び戦士陣没の諸精霊追善供養証大菩提」という言葉があります。「戦乱犠牲者」とは、戦場となっているウクライナで戦闘の犠牲として亡くなった大勢の民間の方々です。「戦士陣没」とは、戦闘に参加して亡くなった兵士たち。この中には、ロシアの侵略からウクライナを護るために戦死した兵士たちとともに、ロシアの政府から命じられてウクライナに派兵され戦死したロシアの兵士たちを含めています。
私たちの一瞬一瞬の心には無数の可能性がある、仏様の教え(特に天台宗の流れ)ではそのように考えます。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩そして仏様の境地。地獄のどん底の苦しみから仏様の気高い永遠の安らぎの境地まで、さまざまな状況に至る可能性が私たちの日々の一瞬一瞬の心の中にある。そのような考えです。
戦争とは、そのような私たちの心を地獄・餓鬼・畜生・修羅の苦しみに投げ込む営みです。戦場では、自分が殺されないためには相手を殺すほかありません。ウクライナ侵攻なんてしたくなかったロシアの兵士も、国に「戦争に行け」と命じられたなら反抗することができません。敵国に行って兵隊と民間人を殺し、奪い、そして自分たちも憎まれ殺されてしまう。地獄・餓鬼・畜生・修羅のどん底です。
そのような苦しみを離れ、安らかな菩薩の生き方、仏様の生き方ができるような状況を作る事が、今、必要なのです。
再拝