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平和の鐘と唱題 744 戦争と気象情報

■2024(令和6)年8月16日 744 戦争と気象情報
(動画の4:26~)

 今、関東地方に非常に勢力の強い台風が近づいています。夕方から夜にかけて千葉県に最接近をすることから、暴風雨による災害の可能性が予報されています。私も親族が千葉県にいるものですから、非常に心配をしております。

 現代社会では、何日も前から台風の発生、進路、勢力等が予測され、災害の発生に備えるようあらかじめ行政の注意喚起が行われます。鉄道会社の計画運休、各種イベントの中止など、被害を最小限にとどめるための様々な準備もできます。

 これは科学の発展のおかげです。近代以前は直前になるまて台風の到来を予想することはできませんでした。しかし現在では、気象予報により台風の影響はあらかじめ予想できるし、日頃から災害の起きそうなところを調べて避難計画を立てることができる。土木工事で危険な箇所の手当をすることもできる。もちろん、それでも人の営みは自然の大きな力に追いつきませんが、被害を低減させることには確実に繋がっている筈です。

 戦争が起きると、この気象情報すらままならなくなります。今から80年前、戦争中の日本もそうでした。昭和16年12月8日、真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まるとともに、日本は従来行っていたラジオの天気予報を中止しました。なぜなら、気象情報は敵国の戦術に大きく影響する軍事情報に当たるからです。

 ですから戦争の間、日本国民は天気予報を聞くことができませんでした。台風は予告なく襲ってきたでしょうし、地震の被害情報もそうです。

 終戦の半年前に当たる年昭和20年1月、三河地震が発生しました。当時は震度計測値はごく限られていましたが、震源地の三河地方は被害状況から推測して現在の震度7に当たるのではないかとされます。実は私の妻が三河の出身で、妻の親族が三河地震で命を落としています。しかし戦争の只中で、地震があったという事実は報道されても、その後の被害情報は一切報道されず、現地の人々はろくに救援を得ることもできずに自分たちだけで対応をしなければならなかった。妻は当時を知る親族からそのような話を直接聴いています。

 昭和20年8月15日に戦争が終わり、その2日後の17日から、ラジオの天気予報が復活したそうです。けれども、全国各地様々な戦災に遭い、気象台も十分には機能復帰しない中で十分な気象情報が報道される状況ではなかったようです。

 終戦からおよそ1か月後、9月17日に日本列島を横断したのが枕崎台風という、台風史上でも2番目か3番目ぐらいに大きな台風でした。特に被害を受けたのが、原爆を投下された広島とその周辺でした。呉市では1000人以上が亡くなり、また廿日市市では川の下流にある陸軍病院が壊滅しました。この病院では大勢の被爆者の治療が行われ、また大学の研究者が原爆投下後の状況の研究のためにその病院に詰めていました。そこが土石流で押し流されて、患者、医療関係者、研究者など200人近い人が亡くなりました。

 この時、気象情報がきちんと機能していれば、事前の避難など被害を低減することができていたかもしれません。しかし残念ながら、戦後わずか1か月の時期ではそのようなことができなかった。

 ですから、私たちが今こうして台風を事前に予測し対策をとれているのは、平和だからできることなのです。本当に戦争は碌でもない、と改めて感じます。併せて、今、台風が最接近しようとしている千葉県をはじめ関東地方の人たちに、できるだけ被害が少ないよう、心よりお見舞いとお祈りを申し上げます。

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