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アデプトはなぜしんどいのか

今日、お友だちの百合ちゃんから嬉しいLINEをいただいた。
百合ちゃんは時々こうして定期的に、嬉しいことがあると報告のLINEを送ってくれる。
桜が咲いた時期にはキレイな景色をおすそわけもしてくれた。
自分の嬉しい=私も嬉しい、をわかってくれる!
すっごい豊かな気持ちにさせてくれる存在!


百合ちゃんは、まだ「ヒーリングスペースAN」を出店する前、レイキのお試しキャンペーンを開催した時に試してくださった方のひとりで、レイキはただのきっかけに過ぎなくて、それ以降もずっとやり取りを続ける友だちになった。
(ちなみに無料の施術だったので、キャンペーン時は「エンソフィックレイキ」であることは伏せてました。あの頃だったからこそ出来た催しで、しかもそれによって友だちも出来たことはホント感慨深い。した意味があったな~)


お試しに申し込んでくれた時からすでに、とても前向きな女性だったし、自分がどうしたいか、どうなりたいのか、鮮明にビジョンがあるのを感じる人だったので、今回引き寄せた彼女の現実も、彼女のポジティブと意志が現実化したもの。エンソフィックレイキそのものが、何かを現実化することは私はないと思ってる。
出来るとすれば、その人自身がもともと持っているエネルギーやパワーを発揮するのに障害となっているものを取り除いたり癒やしたりすることは出来てるかもしれない。


そういう部分(これは出来る、これは出来ないの線引き)も、ちゃんと施術する側が言語化していかなきゃいけないんだろうなー、と。百合ちゃんと話してて今日は感じたので、このnoteを書き始めました。
私自身がまだまだまだまだ発展途上であるがゆえに、わからないことも多くて、わからないってことはすなわち言語化ができないってことです。


先日公開した「ヒーリングスペースAN」のYoutube(ANチューブ)に遠隔エンソフィックレイキのことを姉妹で語る動画があるけど、私がほとんど言葉を発せていないのは、それが理由です(笑)。私は言語化できるほどまだ何もわかっちゃいない。わかっていないのに、さもわかっている風に話せるほど簡単な世界でもない。
でもヒーラーが言語化できないと誰もじゃあ私もやってみようなんて、わざわざ思わないよな~。だから、せめて言語化できる範囲のものは、たとえどんなに下手くそだったとしても、どんどんしていきたい。


ちなみにANチューブの裏話として、私が以前、口蓋垂(いわゆる「のどちんこ」のこと)を大火傷したときに、姉に遠隔エンソフィックレイキを流してもらって驚異の回復をしたエピソードを画像付きで紹介してはどうか?という姉からの提案があったんですが、

「何で初めての顔出し動画で自らののどちんこ画像を晒さねばならぬのだ?」

となけなしのプライドで拒否したっていうことがありました(笑)。(のどちんこにプライドも何もない)

遠隔エンソフィックレイキには、こうした『手では触れられない場所にも流せる』という大きなメリットがあることを物語るにはめちゃめちゃ良いエピソードではあったんですが、いかんせん抵抗感が拭えなかった(笑)。

でもホント、ふつうなら治療のしようがない場所にこそ本領を発揮するエンソフィックレイキですので、こういうところもちゃんと言語化していきたいと思ってます積極的に。


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さてそんなわけで。

先日から万人ウケは一切考慮しないnoteを書く試みを始めまして、

記事の最後に必ず「アデプトプログラム」へのリンクを貼らせていただくことにしています。


私はこの「アデプトプログラム」のことを書く際に「しんどい」という感想を必ずセットでおつけしており、あまりに自然な感覚すぎて書きっぱなしの放置プレーだったのですが、ふと読み返していて、そんなしんどいものを誰が好き好んでわざわざやるかね???って、ようやく気付きました。
やりませんよね。よっぽどのドSでなければやらないな。

なのでちゃんと言語化しておきますね。
あくまでも「私」の体験した感覚です。人それぞれ人格や人生が異なるように、感じるもの受け取るものもたぶん違うので、正確な答えはやっぱりご自身で受け取りに行かねば手に入らないこともご理解ください。


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私は、「アデプトプログラム」は2度目の誕生日だと思ってる。
私にとってはまさに、本当にこれでした。もう一度、生まれ変わるための手段のひとつ。

やり直す、というよりは、それまで生きてきて身についた行動パターンと思考の癖に自分で気が付き、そしてそれが自分にとってどう影響しているかを理解し、必要があれば矯正しながら、本来生きるべきだった自分を生きていくことを始める。リスタートするためにやる。
2日間という時間とお金をかけて、そのためのスイッチを入れる場。
自分じゃ出来ない(というか、自分じゃない目線が必要だ)から、第三者であるガイドの方の手を借りる。

言語化すると、私にとってはそういう2日間だった。


それまで、何でこんなに生きにくいんだろう?
自分の感情なのに扱いにくいのはどうしてなんだろう?
何でこんなに頑張ってるのに、まだ足りないって思うんだろう?
と、思っていた疑問にぜんぶケリが着いたのもこの2日間。

自分がエンパスなこともわかり、それによって子どもの頃からずっと不可解だった自分のことがあっという間にわかってしまったのもこの2日間。

外部的な影響を受けていつも体調が悪かった私に、リチュアル(パワーを呼び起こしたり呼び降ろしたりする身振り付きの儀式)で身を守る方法を教えてくれたのもこの2日間。

2日間でけっこうな疑問が解決され、ここまではむしろ本当に何か変わる、変えられるかも、みたいな、自分自身に対する期待みたいなのが高まる感じがします。


なので私が最初にしんどくなったのは、1ヶ月くらい経った頃だった。
「結局なんにも変わらないじゃん!」って。私も例外なくまず、怒りました。
でも悲しいことに、この「怒る」という行為こそが、私にとっては最初の変化だったことがわかったんだけど、それもつい最近の話です。それまでの私ってろくに「怒る」ことも出来なかったので。そういう感情はひた隠して生きていた。

だけど嵐の渦中にあるときって、やっぱどーーーーしても人は、そんな細かいことには気付かない。気付けない。
自分に何が起きているのかを、客観視できない。

なので、まずしんどい。

アデプト受けたらアラ不思議、人生激変、と思いがちなので。
そういうもんだっていう先入観とか。まさにそれまで生きてきて培った立派な固定概念がきびきびと優秀な仕事をするので、そう思うのはしかたない。私のせいではない(笑)。

この、固定概念に気付く→捨てる→これで良くなるかしら→ならない→怒!→気付く→捨てる→期待する→期待外れる→怒!!!→エンドレス……
っていう図式がだいぶしんどい。

まるで終わりのない苦労みたく思えてくる。
こんなことのためにお金払ったのではない、と思えてくる。

ほんとに受けて何か良いコトあるんか(笑)?って思いたくなるようなことしか書いていないことはわかってる(笑)。
けど、これを繰り返していった先にようやく、やっと、この世のどんなネガティブにも左右されない、真実を見抜く強さを身に着けるコツみたいなのがわかってくるんだよなぁ…。「あー、これもっと早くから気付いていればあんな遠回りせずに済んだのになぁ」っていう【目線】がどんどん増える。
闇雲な苦労じゃなく、ちゃんと最終的に得する苦労なのが救われる。
「苦労は買ってでもしろ」ってどこのどいつ様が言ったかわからない超最悪な言い伝えがあるけど、何の足しになるのかもわからない苦労は絶対に買ってはダメだよ。その言い伝えをドヤ顔で言われたら怒っていいと私は思う。


アデプト後の前進が、終わりのない苦労みたく思えるのは、物事の裏の面しか見る力が備わっていないからです。
まるで玉ねぎの皮みたく、何枚も何枚も重なった余計なしがらみとか、自由を奪ってる人間関係とか思考のクセを、このやろ~~~~~!!!って剥いていくと、やがて綺麗に皮の剥けた本当の自分に出会え、生きる余裕が生まれる。余裕があるので表の面を見たり、ちゃちなカラクリであれば見破ることも難しくなくなってくるはず。体を壊すことでSOSサインを送ってくれる、自分の肉体もちゃんと楽になってくるよ。

でもホント申し訳ない(?)ことに、それがわかったのも私はつい最近で。
1年半くらい経って、ようやくです。
個人差あるので、もっともっと早く駆け上がっていける人ももちろんいると聞いてます。なので、あんまり心配しないで……(説得力が迷子)。


こうして、紆余曲折を経ながら、アイデンティティ(自己の独自性)を再定義していく。それが「アデプト」。

私の言う「しんどい」は、その再定義の過程であり、結果を指すものではありません。
それまで知らなかった(隠したり隠されたりしてきた)様々な自分と新しく出会いながら、向き合いながら、自己愛を深めながら、戦う情熱を取り戻していく。「良いコトばかりじゃない」は、その過程で出会うものの中の、ネガティブな一面だけを指したものです。

少なくとも私のnote上では、そう読み解いていただければいいのかな、と。
思います。


伝わりましたか??

現段階の私に言語化できるのはここまで。
この先もっとピンとくるような言語化が出来る日が来たら、また書きますね。







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