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野球ありがとう。ベイスターズありがとう。④

 ベイスターズへの思い

 横浜公園に「平和球場」と呼ばれる野球場がありました。
 ある日その近くを通ったら、球場の改修工事が行われていたのです。
 そこに新しいスタジアムを建設しているということ、そこを大洋ホエールズが本拠地にしようとしているということを、私は後に知りました。
 その話を聞いたとき、大洋ファンを自認していた私としては「へぇ~大洋が横浜にくるんだ~」と胸が高鳴りました。
 
 そのころ川崎では「大洋ホエールズ、行かないで~」という熱い署名運動が行われていていたのですが、すでに決定していた横浜移転を止めるまでには至りませんでした。仕方ないのです。川崎球場は読売戦以外は客席ガラガラでしたから。

 かくして、横浜スタジアムを本拠地とした市民球団「横浜大洋ホエールズ」が誕生しました。胸にマリンブルーでYOKOHAMAって書いてあるユニフォームがめちゃめちゃカッコよくて、大洋ファンでよかったな~と思ったのでした。横浜スタジアムの人工芝の美しさに、中学生だった私はかなり感動しました。

 さらに高校生のとき、通っていた公立高校の野球部が夏の大会で勝ち進み横浜スタジアムで応援することができたのも一生の思い出です。青春の1ページ。負けちゃったけど。

 横浜スタジアムに来た大洋球団は川崎のときに比べるとお客さんが増えました。田代、松原、山下、斎藤、遠藤、スーパーカートリオ…私にとってのスター選手がたくさん。すばらしい選手がこんなにいるのにどうして優勝できなかったのか今思えば不思議です。

 やがて、横浜の実家を出て北海道で大学生活を送ることになった私は、地元への郷愁もありそれまで以上に横浜大洋ホエールズへの愛が募るようになります。
 
 広島カープを何度も優勝に導いた監督がきたときは「これで優勝できる!」と思ったものです。ダメでしたが。

 その後チームの力が充実してきて、いよいよ本気で優勝がねらえそうだというときにエース的存在だった投手が不祥事で消えてしまったときはホントにがっかりしたなあ。

 そんなことで、1度も大洋ホエールズの優勝を見たことがないまま私は大人になり、結婚して子どもも生まれました。息子の名前に「洋」の字を入れるか迷いましたが、やめました。

 息子が生まれてからほどなく、大洋ホエールズは横浜ベイスターズに名前が変わりました。「洋」の字を付けなくてよかったと思いました。

 「ベイスターズ」という名前を初めて新聞で見たときはなんだか怪獣の名前みたいだと思ったのでした。「ベムスター」という怪獣を連想したからです。

 そんな違和感もすぐに消え、決意も新たに私はさらに熱くベイスターズを応援するようになります。

 そのときはまだ、1998年に何が起こるのかは知るよしもありません。


 今回も私の思い出話につきあってくださいましてありがとうございました! (⑤に続く?)


 
 

 

 

 

 

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