北海道人のルーツ38 明治5年<永山 武四郎>
明治5年<永山 武四郎>
写真は札幌の「サツポロファクトリー」に隣接する武四郎邸宅内部です。
和様式の建物で、建物を見に来た黒田清隆は怒って帰ったという話が伝わっています。
1837年5月28日~明治37年(1904年)5月27日)没。
日本の陸軍軍人、華族。
天保8年鹿児島藩士、永山盛広の四男として生まれ、同じく鹿児島藩士の永山喜八郎の養子となります。
戊辰戦争に従軍し、維新後の明治4年7月陸軍大尉・2番大隊付に任命。
明治5年9月から開拓使に移り、北海道開拓使八等出仕となる。
明治8年3月に陸軍准少佐・開拓使七等出仕、屯田事務局付。
明治10年4月に屯田兵第1大隊長に就任し堀基大佐の指揮のもと、西南戦争に従軍。
戦争から帰還した後は開拓少書記官・屯田事務局副長・屯田事務局長と累進し、
階級は屯田兵大佐となる。
札幌市中央区北2条東6丁目に「旧永山武四郎邸」が保存されています。
永山は明治21年6月から第2代目北海道庁長官を兼ねた方です。
また、明治22年には屯田兵司令官に就任し、北海道庁長官退任後の明治28年
には臨時第7師団司令官ともなりました。