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観光客が行かない浦河町の旅・前編 

「浦河町」    人口11,453人 (2023年12月) 


浦河町


                

サラブレットの町


シンザン像



五冠馬シンザン


明治40年、日高種馬牧場が設置され、大正期からサラブレッドを育てます。
「五冠馬シンザン」を育てた町です。
シンザンは、戦後の日本競馬を代表する競走馬で、1964年の日本クラシック三冠馬。この三冠に加えて、翌1965年にも天皇賞(秋)および有馬記念で優勝したため、日本の競馬史上初めて「五冠馬」の称号を与えられました。



うらかわ町名の由来は様々で、アイヌ語のウラㇻペッ(霧・川)、腸を指す「オラカ」「ウラカ」といった説もあります。

江戸時代から浦河場所が開かれていた町で、豊かな海産物に恵まれていました。
明治4年、開拓使の招募移民があり肥前国(長崎県)から24戸74人が西舎村に、肥後国(熊本県)天草郡から21戸95人が杵臼村に入地しました。

明治20年~大正9年に浦河港の湾岸調査を経て、大正10年着工し昭和5年完成し本格的に漁業の町としてスタートします。浦河湾には330隻の漁船があり昭和29年に「浦河漁業研究会」がはじまり、昭和31年から一匹狼の海の男ではなく、集団漁業とチームで漁業を行う体制を作るユニークな町です。

天馬街道(道路の開削)




昭和40年に道路法改正で国道236号として指定施行されたのが浦河から十勝の広尾町に抜ける道路です。
昭和45年から自然環境にも配慮する方法で工事が進められ、約27年の歳月をかけて平成9年9月25日全線が開通し、「天馬街道(てんまかいどう)」と命名されました。全長139キロメートルの幹線道路で日高山脈の野塚岳を延長4,232mの長いトンネル「野塚トンネル」で貫いています。
それまでは襟裳町を回り黄金道路の海岸線しかありませんでした。新ルートの誕生で、日高~十勝間が約30キロメートル、時間にして約50分が短縮され、道央と道東を結ぶ交通・物流の重要な道路となりました。


天馬街道






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