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観光客が行かない旧静内町の旅・前編

平成18年、 静内郡静内町と三石郡三石町の合体で新ひだか町となりました。

静内町

1669年、この地に住むシブチャリアイヌとハエアイヌとの抗争に端を発して、松前藩支配による収奪の強化から「シャクシャインの戦い」が起こりました。
蝦夷の時代に松前藩とアイヌ民族との大きな戦い3回ありますが、この蜂起は全蝦夷を巻き込んだ戦いでした。
最終的には松前藩のだまし討ちで鎮圧され、これを契機としてアイヌ民族の支配は一段と強化されることになりました。

新田次郎「最後の叛乱」

「寛文三年の春、蝦夷地日高の新冠川の河口、ピポクにおいて和人とアイヌ人との間に盛大なオムシャ(交易)がおこなわれた」ではじまります。
その場には、松前藩の役人、運上屋、アイヌの首長、砂金堀り、鷹待の庄太夫など役者が揃っていました。
隠密でもある庄太夫は運上屋の搾取と、その手先となりアイヌ人に虐殺暴行を加える不逞の輩(砂金堀)に怒り、一方で、アイヌ同士の対立に体を張って諫める。

だが戦端は開かれ、「日高の一角に起こったシベチャリの酋長シャクシャインの叛乱の余波は燎原の火のように蝦夷地全体へ拡がっていった。アイヌ軍は渡島の国縫まで攻めのぼったものの敗退、やがてシャクシャインは敵の術策に陥る。

「酒宴が開かれ、泥酔したシャクシャイン以下20数名のアイヌ人酋長たちはことごとく斬殺された。アイヌ人による最後の叛乱はピポクの館で終焉した。蝦夷地のアイヌ人はこの日を境として、無条件降伏を強いられ、和人の奴隷に追いやられた」


二十間道路の桜並木

100年余りの北海道の歴史の中でも古くに整備された道路で、明治5年開拓使長官の黒田清隆が静内郡・新冠郡・沙流郡にまたがる7万ヘクタールにも及ぶ牧場「新冠卸料牧場」(現在の新冠種畜牧場)を創設したことか始まりでした。
二十間道路は、明治36年に新冠卸料牧場を視察する皇族の「行啓道路」として、幅20間、延長2里(約8 km)の規模で造成されたものです。

また馬産と林業の町でもあり、町の86%が森林で、合板・チップなどを生産しています。
日高地方のサラブレットのうち2割が静内町で誕生しているといわれ、トウショウボーイのふるさとでもあります。



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