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北海道人のルーツ37 明治4年<札幌郡月寒(つきさっぷ)村開拓>吉田善太郎


写真は旧吉田牧場(現:八紘学園牧場地)です。
北海道農業専門学校の敷地内ある札幌軟石で作られたサイロ。
さっぽろ・ふるさと文化百選および、都市景観重要建築物に選定されています。
    
吉田一族

吉田善太郎


吉田家は代々南部藩に仕える藩士(現:岩手県盛岡市)でしたが、明治4年の廃藩置県のため北海道開拓使の移民募集に応じて札幌郡月寒村(現:豊平区月寒中央通7丁目)に入植し木炭製造を始めます。

明治14年、善太郎は20歳で父を失い家業を継ぎます。
明治20年、開拓史から大谷地の地23万余坪の借下げを受けます。
明治24年、灌漑用水路「吉田用水」(これが現在の吉田川)を完成し水田耕
     作が普及します。現在の豊平の福住、月寒東から北野、清田、さ
     らには大谷地まで広がり、水田は70町歩、畑地は60町歩、小作人
     は30数戸となります。
明治26年、善太郎の敷地(現:栄通しらかば公園)付近に旧大谷地簡易教習
     所(現:札幌市立大谷地小学校)を創設に貢献。
明治30年、吉田牧場を開設し牧場も経営して乳牛の改良にも努めます。
明治37年、現在の八紘学園資料館となる畜舎・サイロが完成し乳牛(ホルス
     タイン種)20頭をアメリカより輸入(日本初の試み)。
明治42年、別荘(現:八紘学園栗林記念館)が完成。
大正5年死去。


昭和3年、善太郎の長男善助は、善太郎の弟権太郎の影響により、白老社台
     地区に移住します。アメリカよりサラブレッドを購入し、社台牧
     場を創設。
     後に善助の三男善哉は、千葉社台牧場(後の社台ファーム千葉)
     を設立し独立(社台グループ)、サラブレッド牧場の経営・育成
     に専念していきます。今日の競走馬の基礎となりました。


東月寒白樺会館(水彩画)


昭和7年、善三の牧場地(現:東月寒公園一帯)の土地を黒澤酉蔵(雪印乳業創設者)の弟、黒澤和雄(豊平町議員)に売却。
(サイロ・畜舎は、後の東月寒白樺会館となる)。

昭和8年、現八鉱学園一帯の土地を栗林元二郎(八紘学園創設者)に売却。


吉田善太郎の功績
開拓範囲
月寒村東月寒地区→現:札幌市豊平区(月寒東・羊ケ丘・福住)地区
白石村大谷地地区→現:札幌市清田区(北野・清田)地区
白石村大谷地地区→現:札幌市白石区(栄通・南郷・本通南)地区
白石村野津幌地区→現:江別市野幌地区など

史跡・跡地など
吉田川 現:北海道農業研究センター敷地内の小川より水を引く灌漑用水路
    を開拓し、下流に水田を(現:清田区北野地区)開設。現在の吉田
    川と命名された。
吉田善太郎功労碑
    明治43年用水路を作り、水田耕作や土地の寄贈など月寒の発展に貢
    献したことにより月寒公園(月寒神社境内)に建立。
吉田用水記念碑
    大正8年に用水路創設の起点地(現:清田1条1丁目北海道コカ・コ
    ーラボトリング)に建立。
吉田川公園
    吉田川下流域(豊平区体育館付近)に隣接する公園。川の名称より
    命名。
吉田山公園・吉田山2号公園
    かつて南郷一帯の丘陵(現:南郷18丁目駅付近)を吉田山と称され
    ており、その名称より命名。
旧吉田農場・牧場→旧黒澤牧場畜舎・サイロ(現:東月寒白樺会館)
旧吉田牧場(現:八紘学園牧場地)
    北海道農業専門学校の敷地内ある札幌軟石で作られたサイロ。
    さっぽろ・ふるさと文化百選および、都市景観重要建築物に選定さ
    れています。


八紘学園の並木道(油絵)



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