観光客が行かない平取町の旅・後編
金田一京助歌碑ー平取町
平取町に町立二風谷アイヌ文化博物館があります。入口に入ると語り掛けるような「アイヌ語」が響いてきます。生活用品など三百数十種、約千点が展示されています。
その姉妹館ともいえる萱野茂・二風谷アイヌ資料館が国道237号を挟んであります。こちらには、萱野茂が40年にわたって収集したアイヌ民具をはじめ、世界の先住民族の民具や絵画など計千点以上を展示しています。
この前庭に、金田一京助のアイヌ語研究をたたえた歌碑が建っています。
沙流川の銘石に自筆で
「物を云わじ声を出さじ石はただ全身をもって己を語る」
と刻まれています。これは国語学者である金田一京助がアイヌ語研究のため来町した際に詠んだ詩を記念の碑にしたものです。
昭和43年10月6日に金田一京助本人を招いて除幕式が行われました。
義経神社(義経資料館)
義経神社は、沙流郡平取町にあります。
義経にまつわる伝説は北海道に数多くありますが、神社として残されているのは平取町だけです。
この神社が作られた経緯は、寛政10年(1798)近藤重蔵が東蝦夷地を探検した時、 平取に住むアイヌの人たちが、 義経を”ハンガンカムイ”と尊敬をこめて呼んでいたことを 知りました。
そこで、当時江戸神田で大仏などを作っていた橋善啓に、義経公の像を作らせて平取に寄進安置したと記録に残っています。木像は、高さ1尺ほどで、 ご神体とご神台の裏面にそれぞれの名前が刻まれています。
また、義経神社の紋章は笹りんどうですが、 これにちなんで平取町の町章にも笹りんどうが デザイン化されています。
義経一行は、青森から北海道の白神(福島町)に渡り、 西海岸を北上して羊蹄山麓を廻り平取に入りました。
平取に住むアイヌの人たちを外夷から守ったことから “ハンガンカムイ”と尊称され、 その後は、新しく部下に加わった若者や藤原氏の残党とともに 大陸に渡ったとも伝えられています。
義経公園には、笹りんどうの紋入りの陣太鼓、太刀や鎧、 「義経公北之方傅記」、 錦絵などさまざまな義経の資料が収められています。
義経公園 (伝説の里の憩いの場)
昭和11年(1936)に公園化がすすみました。
昭和62年に歩道、車道の整備、 樹木の植栽、弁慶の池を造成するなど平成元年に完成します。
四季を通して町民の憩いの公園となりました。
義経伝説にちなんだ弁慶池、弁慶橋、義経神社、義経資料館などがあります。 また、公園内には”北海道の銘木”樹齢300年以上の栗の木、 中心を流れるオバウシナイ川の清流など豊かな自然がいっぱいです。
義経神社大祭
祭りのハイライトを飾る神輿と武者行列があります。
昭和3年義経神社に寄進されたもので、屋根の頂上には鳳凰が置かれるなど豪華な装飾が施されています。
毎年8月15日の義経神社大祭には、武者行列の中心となって担ぎ出されます。
君が代の歌詞にある「さざれ石」を祭っている神社は全国にあります。
義経神社にあるさざれ石の大きさは24トンと異例の大きさです。
沙流川から運び込まれたものとあります。
一度は訪れてみると蝦夷の歴史が深まること間違いありません。