北海道ゆかりの人たち 知里幸恵
知里幸恵(ちりゆきえ)
明治36年6月8日~大正11年9月18日 登別出身
19歳という短い生涯でしたが「アイヌ神謡集」出版でアイヌ民族の復活へ重要な転機をもたらしました。
銀の滴(しづく)降(ふ)る降(ふ)るまわりに
「アイヌ神謡集」の中の「梟の神の自ら歌った謡」の冒頭部分です。
この物語の主人公は、コタンを守ってくれるふくろうの神で、その神が自らの体験を語るという形になっています。
アイヌ民族の口伝えの叙情詩を「ユーカラ」と呼ばれています。
アイヌ神謡集に収められた13編は、旭川の祖母金成(かんなり)モナシノウクが暗唱していたもので、代々語り継がれたユーカラがたくさんありました。
生い立ち
知里幸恵は明治36年、登別で生まれます。
当時の登別は人口2,500人そのうちアイヌは200数十人でした。
知里家は農業と牧畜を生業としていましたが、幸恵が小学校に上がる前、父が窃盗の疑いで逮捕されたのです。(アイヌ民族に対する差別は各地域でありました)
そのため3人兄弟の長女幸恵は、叔母の金成マツや祖母モナシノウクの住む旭川(近文地区)で暮らすことになります。
登別と比べると旭川は4万人の大都会でアイヌは200人ほどにすぎません。
7歳で小学校に入学した幸恵は大勢の和人の子供に囲まれていましたが、半年後にアイヌの子供達だけを通学させる「上川第五尋常小学校」がつくられ転向しました。子供は全部で28人。
大正5年、小学校を卒業した幸恵は旭川区立女子職業学校を受験し、4番という優秀な成績で合格しました。しかし、たった一人のアイヌ民族の子である幸恵がクラスの中で目立っていれば、他の生徒の攻撃の的となりました。
更に、学校まで6キロの道のりは、次第に健康状態を悪化させます。
そのころの両親にあてた手紙があります。
「私は海が懐かしくてなりません。旭川は四方が山ですから、どこを見ても木ばかり草ばかり家ばかり、見渡す限り果てしないような上川平原。海がないのがなんだか物足りないような気がします。」
金田一京助博士との出会い
大正7年の夏、金田一は金成マツを訪ねて旭川に来ました。マツの母モナシノウクからユーカラを聞くためです。
モナシノウクは、金田一が「アイヌ最大の叙事詩人」と絶賛する暗唱力を持つ女性でした。
金田一が玄関に立った時、学校から帰ってきた少女が幸恵でした。彼はその夜マツの家に泊まります。
一夜明けると、幸恵は女学校での作品を金田一に見せるほど心が打ち解けていました。それらを見た金田一は、日本語で書かれた作文の文章の美しさに驚きます。そのうえ幸恵が、アイヌ語の難しい古語でうたわれているユーカラも暗唱していることを知り、目を見張ります。
幸恵には日本語とアイヌ語の、二つの言語生活があったのです。
幸恵は、「ユーカラのどこに、そんな値打ちがあるのですか」と質問。
金田一は「アイヌは、侮辱をひたすら我慢している。
しかしユーカラは、祖先が長い間口伝えに伝えてきた叙事詩で、民族の歴史であると同時に大切な文学です。アイヌ民族は文字を持たない。文字ではなく音で叙事詩の姿をそのまま伝えている例は、世界にユーカラの他にない。今我々が書きつけないと、あとでは見ることも知ることもできない。だから私は全財産を費やしても惜しいとは思わない」幸恵は目に涙をいっぱい浮かべながらいいました。
「私も生涯を、祖先が残してくれたユーカラの研究に捧げます」
金田一はこの15歳の少女の決意を聞いて、東京に連れていって勉強させたいと思い始めました。
しかし幸恵は、学校を卒業した大正9年の春には、慢性の気管支カタルのため絶対安静でした。金田一はユーカラを筆録するためのノートを送って励まします。そのお礼の返事には次のように書かれていました。
「ユーカラを書くために叔母からローマ字を習っています。
アイヌ語の発音は日本の文字では正確に表現しきれないからです。ローマ字が書けるようになったら、すぐに執筆に取り掛かります」
一年後、初めて送られたノートのローマ字は見事なものでした。幸恵はその後2冊のノートを送り、金田一は本として出版するまでにこぎつけました。
幸恵は原稿を完成させるために大正11年、19歳の時に上京して、金田一家に身を寄せます。「アイヌ神謡集」と名付けられたこの本の最後の校正を終えた幸恵は、容態が急変し、金田一家の人々に看取られながら帰らぬ人となりました。享年19歳でした。
アイヌ神謡集の序文
翌年大正12年本は出版されます。その序文には次のように書かれています。
平成2年6月8日、幸恵が通った上川第五尋常小学校(現在の旭川北門中学校/旭川市錦町15丁目)に、碑が建てられました。
除幕式には生徒たちも参加し、「銀の滴降る・・・」をアイヌ語で歌いました。以来毎年この日を北門中学校では、知恵幸恵生誕祭として、講演会や生徒たちのアイヌの楽器演奏で偲んでいます。