蝦夷の時代34 シャクシャインの戦い7
シャクシャイン軍団
福山(松前)に向って遠征するシャクシャイン軍団の中に、シャクシャイン本人はおりませんでした。
戦闘は浦河のツノウシとマクワ、幌別(登別)のチメンバ、新冠のウエンスルシを大将として軍団が続いていました。
先陣を行く部隊は2日先の通過予定地のようすを知らせてきます。
エトモ(室蘭)を出発すると内浦湾が弧を描いており、普段は舟で直線で横断できるのですが2000人ともなれば、湾伝いに歩くしかありません。
そうして虻田を過ぎれば礼文華・静狩峠と続きます。
海沿いは、崖が垂直に切り立っており、人も獣も海沿いを避けて山越えをしなければならいな難所でした。武器と食糧を持ったアイヌの軍団がこの悪路で分断され、体力も消耗してしまいます。
ところが、礼文華を越え、静狩にさしかかるころには手勢はふくれあがっていました。セタナのアイコウインコタンからも参入が相次いでいたのです。
それがアイコウインの指図かどうかは分かりませんでした。
大軍が長万部の手前で、夜営のしたくにかかっている時に緊急の事態が持たされました。
国縫川対岸に、松前の侍たちが出陣して防御の柵がつくられているという情報でした。国縫に陣を構えたということは、アイコウインを味方につけたということだろうと察しがつきます。しかし、同情のこもった口ぶりで責めはしませんでした。
進軍を続けてきた一行は、出発以来200キロにしてはじめて阻まれたのです。
写真は静狩峠を過ぎて長万部平野です
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