北海道人のルーツ25 北海道へ志願して渡った士族たち 4
写真は、現在の登別市郷土資料館です。(お城の建物)
胆振国幌別郡 (現登別市・胆振総合振興局)
明治3年 仙台藩士・片倉邦憲
旧白石藩1万8000石から55俵の禄米給与に転落、陪臣は召し放ち。
白石藩は、戊辰戦争では「奥羽越列藩同盟」の本営(司令部)となった所で薩長勢力の恨みをかいました。
没収された刈田郡以下仙南五郡は、土地・家屋も明け渡すこととなります。
帰農帰商して士籍を失うことを恐れた旧片倉家は北海道への移住開拓を試み、胆振国幌別郡を支配地として出願し、明治2年9月片倉小十郎は幌別郡(現在の登別市周辺)移住支配を命ぜられます。
しかし、藩主邦憲は老齢のため長男の景範(かげつな)が父親に代わって幌別郡を受領することになりました。
移住計画が進むにつれ「渡航費用捻出」(3千両)の目処がたちません。
そうこうするうちに、隣の室蘭郡支配の角田藩石川氏が罷免され、その東半分が白石藩に増配され急いで移住しなければならなくなります。
そこで、按察府(あんさつふ・地方行政機関)が、山崎屋瀞右衛門に預けてある3千両を「もし返済出来ない時は、府自身で始末をつける」との裏書をつけてようやく借用することになりました。
返済は7か年で、幌別郡の特産「秋味鮭)・昆布」などの海産物の利益で返済。
しかし、これも狂い更に按察府が廃止となりこの保障は頓挫します。
ようやく、解体されることになっていた城が片倉家に返還されることになり、この売却代金で落ち着きます。
明治3年6月末に幌別郡に出発した第一陣は19戸。
翌4年3月の第二陣は45戸177人・職工15人が入地しました。
この第二回までは、自費渡航でした。