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北海道人のルーツ24 北海道へ志願して渡った士族たち 3

石狩国石狩郡当別(現石狩郡当別町・石狩振興局)

明治4年 仙台藩士・伊達邦直

当別町

岩出山1万4640石から65石に減封。
城は召し上げられ家臣(736戸の旧臣)の士分を剥奪。

陸奥国(のち陸前国)玉造郡(現・宮城県大崎市)にありました。

独眼流の勇将・伊達政宗が築いた仙台藩の支藩、亘理藩の伊達邦成が有珠郡の調査にとりかかった頃、実兄である仙台藩支藩、岩出山藩主の伊達邦直もまた、新政府からの非情な仕打ちに苦悩していました。

侍ではなくなった家臣達は帰農を命ぜられるが、路頭に迷う事を憂い、私財を処分し得た資金で新政府の推し進めていた北海道開拓を志願。

厚田郡聚富(シップ)

明治2年新政府から支配を許されたのは内陸の石狩国空知郡ナイエ(現奈井江)でした。手付かずの空知郡は唯一の交通手段である石狩川から遠いため、再度お願いし、厚田郡聚富(シップ)(現石狩市厚田区聚富)を与えられます。

第一陣は明治4年3月2日に北海道へ向けて出発(移住者は43戸160人)しかし、繋富は土質が悪く砂地が多いため作物は育ちませんでした。
開拓使に嘆願したところ、同地を視察に訪れた開拓使長官より移ることを許され、代替地当別の許可を得ます。

当別への移転は明治5年を予定し再度移住者を募り第2陣の移住者(44戸182人)は第一陣と合流し当別の開拓に当たり、明治12年の第3陣(56戸210人)にまで及びます。


小説石狩川

当別町の開拓の歴史を細かく書き残した小説があります。本庄陸男(明治38年生~昭和14年没)による「石狩川」です。

伊達・岩出山藩の主従・43戸160人が、明治4年から石狩郡当別で開拓に従事した物語です。

小説『石狩川』は、開拓責任者の吾妻(小説では阿賀妻)ら数人の先遣隊が原野を掻き分けて、開拓の許可を受けた当別川畔を探し出すところから始まります。
荒々しく襲い掛かる自然が巧みに描かれ、草木による痛みや雨に濡れる冷たさを実感します。やがてそこに肥沃の大地を見出し、金策に苦労しながらも21キロの一本の道を総力で作りあげます。

昭和14年に発刊し、たちまちベストセラーになりましたが、作者はその2ヵ月後にわずか34歳で病没しました。

この「石狩川」は、東映の佐伯清監督が豪華キャストを投入し、当時としては空前の歴史超大作として映画化され、昭和31年に公開されたのが「大地の侍」(大友柳太郎主演)です。幻のフィルムとも言われていますが、当別町にある「伊達邸別館」でお願いをすると一部を観ることができました。

この本庄陸男の文学碑は石狩川河口の堤防に立っています。
また、本庄陸男の生誕の地は、現在チョコレートロイズの工場となり、こちらにも碑があります。

「いの一番にこの川を見つけたのは肥え太った鮭の群れでもあったろうか」
が刻まれております。

伊達邦直が村政執政のため建てた伊達邸別館が同時の場所に保存されており、その横に立つ伊達記念館には邦直縁の品々が展示されています。

○ 姉妹都市

 宮城県大崎市 (旧岩出山町)

 愛媛県宇和島市      
(伊達政宗の長男・秀宗によって城下町が整備され、伊達家の縁)


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