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蝦夷の時代33 シャクシャインの戦い6

徳川幕府は津軽藩と、秋田の佐竹藩に援軍の出兵を命じ、更に兵糧米を送らせていました。

しかし、松前藩は援軍を和人地である福山(松前)にとどめおいて、関所から奥地である東・西蝦夷地には入れようとはしませんでした。

これには理由がありました。

松前藩は他藩から物資の協力を得ることはあっても、自力でシャクシャインを抑えこまなければならなかったのです。
他藩の者を蝦夷地に入れれば、松前藩が蝦夷地で何をおこなっていたのかを幕府に知られてしまうからです。最悪の場合には藩のとりつぶしや領地替えもあり得ると考えていました。

戦いが終われば、今回の出来事がどのような原因で発生し、どのような経緯をたどったのかを幕府に報告しなければなりません。
自力で事態を収めれば、報告などなんとでもとりつくろえます。

非はすべてアイヌの側にあるとして立場を正当化することも自在で、他藩が進駐すれば事実があばかれてしまいます。
しかし、このことが更にアイヌ民族を苦しめることになっていきました。

写真は「干鮭(和人との交易の品)」で北海道博物館の展示です


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