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観光客が行かない津別町の旅・前編

津別町(つべつちょう)


津別町

津別町(国道240号)

津別町は美幌町の南部に隣接しています。
町面積の86%は森林が占め「森林セラピー基地」に認定されています。

北部は扇状地が広がり、農耕が盛んですが、南部は山岳部で森林が広がり、釧路総合振興局管内に通じる津別峠、釧北峠があります。

町内に鉄道路線はなく、最寄り駅はJR北海道石北本線の美幌駅です。
かつては国鉄相生線が通って10カ所の駅が設置されていましたが、1985年(昭和60年)に廃止されました。このほかに木材輸送専用の津別森林鉄道も通っていましたが1963年(昭和38年)に廃止。

津別町役場

役場の庭

私は北海道の自治体を回っていますが津別の役場には驚きました。
観光客(外部)が役所を訪れることが余りないのでしょう。
町を紹介するものがないので窓口で職員の方は戸惑うばかりでした。
次々と人が変わるのですが、町を紹介できる人に中々出会えません。これは珍しいことです。
札幌のスーパーで販売されている「津別のオーガニック牛乳」を求めたかったのですが、さっぱり要領を得ません。どこの町でも同じことが言えますが、地元の良さを地元の人は知らないものです。

津別を知る人に「津別に行ってきます」というと、「あそこは何もありませんよ」と答えがかえってきました。

しかし、この町はオーガニックと森林セラピー基地という素晴らしい自然の観光施設があるのです。ところが、私が行った時には森林セラピー基地が2年前の台風で通行止めでした。ところが、それを知らせる標識もありません。
その代わり、人の好さは抜群で、笑いと人情の絶えない町役場で救われました。

津別のはじまり

明治16年、「活汲(かつくみ)」に旧土人救済事務取扱所を設置。
アイヌ人に農業指導をしていましたが、効果が上がらず3年後に美幌に移転します。散在したアイヌ人を集約就農により開墾・耕作の効率を上げようと、美幌村のアシリベツクシに新しいコタンを形成しました。

明治31年に活汲原野が植民区画され、この地の先駆者となったのが明治35年に入植した福島出身の小沼常之助でした。彼は旧土人救済事務取扱所跡に小屋を建てています。
明治36年、津別・飜木禽(ぽんききん)原野が開放され、翌年宮城県の小田切次郎が仮住まいし、さらに翌年駅逓を開き明治40年に正式に取扱人となりました。同じころ、父親の旧仙台藩長次郎も移住しています。

更に、植民道路が開削されるにつれ、移住者が増え市街地が形成され、この地には38府県から人々が新たな土地を求めて入植しました。

明治末に網走線が開通したことで換金作物の出荷が進み農業が拡大し、木材業も盛んになりました。


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