香炉灰の香り
葉桜の季節になる頃、母は天に召され、私は誰もいなくなった実家からお仏壇を引き継いだ。
それから、我が家の一日の始まりの合図が、お線香の香りとお鈴の音になった。
香りと音が日によって違うと感じたのは、引き継いでしばらくしてからだった。
もちろん、香りはお線香の種類によって異なるが、同じものでも日によって違い、お鈴の音もそうだった。
天候が崩れそうな日には、香りも音もくぐもったように感じ、雨の日には一層そうだった。
一方、天候が良い日には、香りも音も澄んでおり、晴天の日が続くとより一層清らかだった。
今日は、どんな香りや音がするのだろう、朝目覚めると、布団の中でぼんやりと考えるようになった。
予想した通りだと、少しうれしかった。
母が天に召されて半年過ぎた初秋に、父の十三回忌法要を営んだ。
父方からは、妹の叔母が出席してくれた。
「兄の法事もそうだけど、お仏壇のお世話ありがとうね」。
私の両親が引き継ぐ前に、訳あって長くお仏壇のお世話をしていた叔母が労ってくれた。
「日によって、お線香の香りとお鈴の音が違うんですよ」。
叔母はにっこり笑って、「ちゃんとお世話してくれているのね、うれしいわ。実は香炉灰の香りもそうなのよ」。
「え! そうなの、気が付かなかった」。
それからしばらく香炉灰の香りを気に掛けてみたがよく判らなかった。
我慢ができず叔母に「違いが判らない」と電話をした。
「私は三年目からかな、違いを感じたのは」。
休日に叔母の言葉を思い出しながら、灰をふるいとならしで手入れするようになった。
ある日、一人暮らしをしている長男が帰宅した時も手入れをしていた。
息子は私の手元を見ながら「僕もいつかはそれをするんだろうなぁ」と呟いた。
「あぁ、その時は頼むな」、「うん、任しといて」。
それまでには香炉灰の香りの日々の違いが判るようになっているだろうか。
<了>