【裁判例】ジブラルタ生命保険事件(顧客情報の持出しと退職金返還)②

前回からの続き

2.争点

本件の争点は、
①社員1、2が顧客情報を持ち出したかどうか
②社員1、2が在職中にジブラルタの業務妨害の予備行為を行ったかどうか
③社員1、2がジブラルタの会社封筒を私的利用したかどうか
④社員1、2による顧客情報の持出し、業務妨害の予備行為及び会社封筒の私的利用を理由として退職金の返還を求めることができるかどうか
である。
※厳密には、社員1、2がジブラルタに対し、名誉毀損(顧客への文書送付、関東財務局への報告)に基づく損害賠償請求をしているが、主な争点とは外れるので省略する。

重要な争点は④で、①〜③はその前提となるものであり、この3点は懲戒解雇処分事由に該当するとジブラルタが判断したものである。

3.裁判所の判断

まず裁判所は、社員1、2が顧客情報を持ち出したか(①)については、

「社員1、2は、少なくとも顧客の氏名、住所が記載された宛名シールが厳秘情報に該当し、ジブラルタとの雇用又は契約終了した後においても、情報資産をジブラルタ以外の者のために開示、漏えい、提供又は使用してはならないことを認識していたにもかかわらず、これが貼り付けられた封筒を本件営業所から持ち出したものということができる」

として、持ち出しを認めている。

次に、社員1、2が在職中にジブラルタの業務妨害の予備行為を行ったかどうか(②)である。
そもそもこの「業務妨害の予備行為」というのは、
社員1、2が、ジブラルタの顧客情報を利用し転職先で新たに募集活動を行うための準備行為として文書を顧客に送付したという行為が、ジブラルタに対する業務妨害の予備行為である、
とジブラルタが主張したものである。

これについて裁判所は、

「社員1、2は、少なくともジブラルタ在職中、ジブラルタを退職した後に顧客を訪問し、ジブラルタの取り扱う商品の不利性を訴え、新たな保険・運用商品を提案する意図を伝える本件文書を作成し、送付する準備を行っていたということができる。社員1、2は、ジブラルタを退職するに際して本件誓約書を作成し、『5契約乗換避止の確認』、『私は、私が貴社の競合他社の生命保険募集人として登録した場合、貴社の既契約者に対し、その競合他社の生命保険商品を販売するために貴社の既契約の解約、契約者貸付、自動振替貸付、延長定期、払済、減額等の示唆、勧奨、アドバイスを行う行為をいたしません。』とも約したものと認めることができるのであって、このようなジブラルタを退職するに至るまでの経緯も考慮すれば、本件文書の印刷等がジブラルタの業務妨害の予備行為に該当することは否定することができない。

として、社員1、2の行為は業務妨害の予備行為に該当するとしている。

もっとも、社員1、2が会社封筒を私的利用したかどうか(③)については、

「上司Aは、社員1、2に対し、退職の挨拶状を送付するために、ジブラルタの社名が印刷された封筒を使用することを許可したことがあったものと認めることができる。したがって、社員1、2が無断でジブラルタの社名が印刷された封筒を流用したものということはできない。」

と判断し、私的利用は認めていない。

では、上記の社員1、2に
①顧客情報の持ち出し
②業務妨害の予備行為
があることを前提に、退職金の返還は認められるのだろうか。

まず確認すべきはジブラルタの退職金に関する規程であるが、

退職金規程は

「退職後または解雇後に在職中の勤務に関し、懲戒解雇処分を受ける事由に相当する事実が明らかになったときは、既に支給した退職金を返還させること、又は退職金を支給しないことがある。」

とあり、社員1、2が書いた誓約書にも

「私は、私が貴社を退職した後、貴社において、私が貴社在職中に行った行為で、私が貴社在職中に適用を受けていた貴社の規程上の懲戒解雇処分事由に該当するもののあることが判明した場合、判明した時点で退職金が支給されていなければ、退職金が不支給となること、また、判明した時点で退職金が支給されていれば、貴社の請求に応じ、貴社に対し退職金を返還することを、それぞれ了承いたします。」

と記載がある。

問題となるのは、社員1、2が行った問題とされている行為は主には退職後に顧客に営業活動を行っていたことであるところ、退職金の返還の要件としては、「在職中に行った行為」が前提とされている点である。

この点について裁判所も、

「社員1、2は、ジブラルタを退職した日である平成31年1月31日、顧客の氏名、住所が記載された宛名シールの貼り付けられた封筒を、本件営業所から持ち出したものと認めることができるのであって、本件誓約書にいう『私が貴社在職中に行った行為』及び退職金規程にいう『在職中の勤務に関し』に形式的にも該当し難いものといわざるを得ない。」

と、形式的には該当しないと示している。
もっとも、実質的に該当するとしても、ジブラルタの退職金の性質から、ジブラルタの退職金について

「在職中に獲得した成果を基礎とするものということができ、賃金の後払い的性格と功労報償的性格を有するものということができる。このような性質を併有する退職金については、懲戒処分を受け、又は事後に懲戒処分の原因が発見された場合に退職金を不支給とし、あるいは返還を求めることができるとする定めがあったとしても、懲戒解雇によって労働契約上の地位を将来に向かって解消することが許容される場合であっても、当然に退職金を不支給とし、返還させることに合理性があるとはいい難く、これを不支給・返還させることができるのは、当該懲戒解雇事由の内容、程度、損害の有無、程度等に照らして、当該労働者が使用者に採用されて以降の長年の勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為があった場合に限られると解するのが相当である。」

として、退職金返還すべき場合についての枠組みを示している。

ちなみにこの枠組みは、判例実務で採用されている判断枠組みである。懲戒解雇よりも、退職金の不支給のハードルが高い場合も多く、懲戒解雇が有効とされても、退職金不支給が無効となるケースもある(橋元運輸事件(名古屋地判昭47.4.28)、京都市・京都市教育委員会事件(京都地判平24.2.23)等)。

その上で、本件がこの枠組に該当するか(ジブラルタに採用されて以降の長年の勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為があったということができるか)が検討されている。

まず、宛名ラベル(顧客情報)の持ち出しについては、
・上司Aが封筒の使用を許可していたこと(在職中に限って送付を許可したという事情もないこと)
・宛名ラベル以外に情報の持ち出しはないこと
・退職する従業員の挨拶状送付自体は禁止されていなかったこと
などから、

「社員1、2が形式的に懲戒解雇処分事由に該当する行為に至ったことは否定し難いものの、ジブラルタに採用されて以降の長年の勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為であったとまで評価することは困難である。」

とした。

そして、業務妨害の予備行為については、
・文書送付そのものによりジブラルタに個別具体的な損害を与えたものとはいえないこと
・懲戒規定上、退職後の競業行為が懲戒解雇事由ではなく、業務妨害の予備行為自体も、懲戒解雇事由ではないこと
などから、

「社員1、2が本件文書を印刷し、ジブラルタの社名が記載された封筒に宛名ラベルを貼付けて準備していたこと自体が、ジブラルタに採用されて以降の長年の勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為であったとまで評価することは困難である。」

として、結果的にジブラルタは社員1、2に退職金の返還を求めることはできないと判断してジブラルタの請求を棄却した。

5.最後に

読めば理解いただけると思うが、この裁判例は、
「生保従業員が顧客情報の持ち出しを禁止する誓約書にサインしていても、顧客情報の持ち出しは合法だと認めた事例」
ではない。

あくまで本件の事例において、退職金の返還は認めないとされた事例である。

ジブラルタとしてはなぜ退職金返還請求だけなのかという点は疑問ではある。

保険会社などの大企業は退職金制度が整備されているが、保険代理店の中小企業などにおいては退職金制度自体が無いケースが多く、本件のような問題が発生した場合に、損害賠償請求をすることが多い。

ジブラルタがどのような意図をもってそのような請求としたのかは定かではないが、判決でも示されている通り、前提となる損害が十分に確認できなかったのかもしれないし、損害賠償請求より退職金返還請求の認容の可能性が高いと判断したのかもしれない(ジブラルタの主張として、社員1、2の顧客への文書送付によって100件を超える保険契約が解約されているようではある)。

ちなみに、登場人物のところにも記載したが、封筒の使用を許可した上司Aは、社員1、2と同様ジブラルタを退職して保険代理店Bに転職している。
上司Aはジブラルタからの聴取時はジブラルタ側に有利な説明をしていたが、その後上記経緯からか社員1、2側に有利な説明に変遷している。これについては、当然利害関係のある者として社員1、2側に有利な説明は、信用性が低いと判断されている。

最後に、本件とは全く関係ないが、保険会社から保険代理店への転職における保険契約の扱いについては、別途事情を考慮しなければならないケースもある。

たとえば、保険会社からすれば、他の保険会社に乗り換えられてしまうと損失であるが、転職した保険代理店において自社の保険契約が契約された場合には、営業社員に対する給与なのか代理店に対する手数料の違いに過ぎないという問題(当然金額異なる)や、保険契約自体が保険代理店に奪われたとしても、その保険代理店が保険会社の保険商品を相当程度扱っているような力関係の問題などである。

その点、保険代理店同士の転職では徹底的に争うというスタンスになってしまうケースも多い。最近人の移籍も増えそのトラブルの相談も多い。
保険代理店としては顧客情報の保護の観点からの整備、教育も当然重要であるが、給与条件で転職してきた募集人は同じ条件で転職してしまうことも多く、保険代理店としての組織コミットメントを高めることが経営課題だと感じる。

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