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ほけんの壁(後編)

「ほけんの壁」をへだてて、「こちら側の人」と「あちら側の人」に分かれる。保険は、「こちら側の人」の世界。そこでは、不思議なやりとりが行われている。のぞいてみよう。

■壁のこちら側・あちら側

(前編はこちら ↓)
https://note.com/hokenbosatsu/n/ne0d944444cf8

「ほけんの壁」の話を続けます。
「買いたいときに買えない、買いたくないときに買える」
それが「ほけんの壁」でした。
 
下の図をごらんください。 

壁をへだてた「こちら側」と「あちら側」

壁をはさんで、二つのグループの人たちがいます。
左側が「こちら側の人」、右側が「あちら側の人」です。
 
「こちら側の人」は、保険の本当の価値を知らない人です。健康で、保険金を受け取った経験もないので、保険のことは知識として理解していますが、価値を実感したことはありません。保険の必要性はあまり感じないので、加入する意欲は高くありません。「買いたくないときに買える」人たちです。
 
「あちら側の人」は、保険の本当の価値を知っています。病気をして保険金を受け取った経験があるので、保険の大切さを体感として理解しています。保険の必要性は強く感じていますが、健康状態の問題で保険に入るのは難しいです。「買いたいときに買えない」人たちです。
 
図には、左から右に矢印があります。壁のこちら側からあちら側へは一方通行です。つまり、あちら側に行ってしまうと、こちら側に戻ってくることはできません。保険に入れる世界がこちら側なので、病気をしてあちら側に行ってしまうと、もう保険には入れません。あちら側とは保険に入ることができない世界です。二つの世界を分けているのが、「ほけんの壁」です。 

■保険の話は「こちら側」の話

私たちがふだん見聞きする生命保険の話というのは、ほとんどが「こちら側」の世界の話です。どうしてでしょうか?
 
保険会社や保険代理店は、保険という商品を販売して稼いでいます。商売なので、原則として、保険に入れる人がお客様です(それがあるべき姿ではないと思いますが、その話は機会を改めて書きます)。「あちら側」の人は保険に入れないので、彼らの目には入っていません。また「あちら側」の人は自分が保険に入れないことを知っているので、そもそも保険に入る入らないを検討することもありません。結果として、保険に入ったほうがよいとか悪いとか、掛け捨て保険がよいとか貯蓄性保険がよいといった話は、すべて「こちら側」の人たちが話題にしていることです。
 
ここまで私の話を聞いて、何かおかしなことに気づきませんか?
それとも、そんなことは当たり前だと思うでしょうか?
少し考えてみてください。

■価値がわからない人たちのやりとり

「こちら側」の人たちは、どのような人たちだったでしょうか?
そうです。保険の本当の価値を知らない人たちです。保険のセールスマンは保険の勉強はしています。知識としては、保険のことをよく知っています。しかし、けれども大きな病気をして、保険金を受け取ったことがあるという人は、あまりいません。彼らは本当の価値を知らないまま、保険を販売しているのです。一方、お客様は、そもそも保険の知識がとぼしい上に、病気の経験もないので、保険の価値と言われても、「?」となってしまいます。
 
保険の世界では、価値のわからない人(セールスマン)が、価値のわからない人(お客様)に、商品を販売するということが、日本のいたるところで、毎日繰り返されています。ちょっと怖いです。
 
ここでいう「価値」とは「実感が伴う価値」です。なぜこんなことが起きているのか不思議ですよね。それは、病気や死亡といった、一度体験すると後戻りのできない「一方通行のイベント」に、生命保険が関わっているからです。生命保険の持つ宿命といってもよいでしょう。
 
私たちの身の回りで、同じようなケースはほとんどありません。味がわからないのにレストランで食事をするとか、似合っているかどうかわからないのに服を買う、といったことはないでしょう。なぜかというと、食べ物や衣服を選ぶとき、私たちには味覚や視覚といった「実感が伴う判断基準」があるからです。人によって差はあるにしても、食べてみれば、好きか嫌いかは判断できます。しかし、保険の場合は、五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)を使って判断することができません。

■保険とは「結果オーライ」の世界

では、価値がわからない人が、価値のわからない人に販売していることの何が問題なのでしょうか?

「保険の本当の価値は、最後までわからない」
 
それが問題です。
「価値=お金」と考えると、保険の価値ははっきりわかります。払った金額ともらった金額を比較すればよいからです。しかし、実際に保険金を受け取った人たちは、お金以外の価値もたしかに感じています。お金以外の価値は目に見えない。けれども、その価値はたしかに存在しているし、大きなものでもある。サン=テグジュペリが言うように、「かんじんなことは、目に見えない」のです(「星の王子様」)。
 
具体例で考えてみましょう。あなたが期間20年の「医療保険」に加入しているとします。2つのケースを考えます。
 
【ケース1】10年後に病気で入院して、いくらかの保険金を受け取りました。病気を体験して、あなたはどのような気持ちでしょうか?あなたは受け取った保険金に対して、どのような気持ち(感想や感慨)を持つでしょうか?
 
【ケース2】20年後、あなたは健康に過ごしました。結局、保険金を受け取ることはありませんでした。支払ったお金は1円も戻ってきません。あなたは損をしたと感じますか?それとも健康だったからよかったと感じますか?
 
答えるのがなかなか難しいと思います。
「実際に起きてみないとわからない」
それが正直な答えなのではないかと思います。
 
そうだとすると、生命保険というのは、すべて「結果オーライ」です。本当の価値は最後までわからないので、どんな結果になったとしても受け入れるしかありません。身も蓋もない話ではありますが、そういう面はたしかにあります。
 
もちろん、これでいいということではありません(どんな保険に入ってもよいということになるし、保険に入らなくてもよいという話になりますから)。本当の価値がわからないとしても、何とか本当の価値に近づくことはできます。お客さんと一緒にそこに近づく努力をするのが、生命保険のセールスマン(業界でいう「募集人」)の仕事だと思います。

偉そうなことを書きましたが、自分もまだ「こちら側」の人間です。そのことを自覚して、謙虚な気持ちで「あちら側」の人たちの話に耳を傾け、一人でも多くの人たちと「本当の価値」に近づいていきたいと考えています。そのために、これからもいろんな角度で、保険にまつわる話を書いていくつもりです。
 
業界の中で、このような話をする人は、たぶん私ぐらいだと思います。でも、私がこの話をすると、みなさんすごく納得してくれます。生命保険業界はエグイ人も多いけれど(実際、エグイです)、まじめな人もそれなりにいます(笑)。そんな人たちにも読んでもらいたいな。
 
生命保険に関する、ちょっとややこしく、ちょっとおかしな、そしてすごく本質的な問題でした。

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