【3ー5限目】戦後の外国保険会社
戦後、外国の保険会社は日本人向けの保険の販売が禁止されていて、日本に住む外国人向けにドル建ての保険だけを販売していた。
それが昭和44年、外国の保険会社は「日本支社」というカタチで日本人向けに営業してよくなった。
つまり、日本で保険会社を設立してはいけないってこと。
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どんな保険会社が参入してきたかを書いていくで~
昭和45年 アリコジャパン:米国(現:メットライフ生命)
昭和49年 アメリカン・ファミリー生命(アフラック):米国
この頃どんな時代だったかというと、マクドナルドの第一号店が銀座にできたのが昭和47年。
ここから「日本支社」ではなく、「日本法人」として外資系保険会社が出てきはじめる。
昭和50年 西部オールステート生命(その後撤退)
米国のオールステート社が、西武グループの店舗内で保険ショップを開いたけど、うまくいかんかった。
昭和56年 ソニー・プルデンシャル生命(現:ソニー生命)
米国のプルデンシャル生命とソニーが折半出資で作った会社。人生設計をする男性のライフプランナーが営業した。ちなみに今は、ソニーの単独出資となっていて、日本の保険会社として数えられている。
昭和56年 コンバインド生命:米国(その後撤退)
平成2年に日本の大手信販会社「オリエントコーポレーション社」と共同出資でオリエント・エイオン生命を作り、コンバインド生命は撤退。現在はSBIグループ単独出資のSBI生命に。
昭和57年 アイ・エヌ・エイ生命:米国(現:SOMPOひまわり生命)
昭和60年 オマハ生命:米国(現:オリックス生命)
平成4年にオリックスグループの単独出資となり、オリックス生命に。
昭和61年 ナショナーレ・ネーデルランデン生命(現:エヌエヌ生命)
オランダ最大の生命保険会社。
昭和61年 エクイタブル生命:米国(現:アクサ生命)
昭和63年 プルデンシャル生命:米国
ソニー・プルデンシャル生命の持ち株を減らし、単独で営業開始。
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ちなみに、外国の保険会社の日本進出は認められたけど、国内で新しい保険会社を設立することは平成8年まで規制されたままだった。
外国の保険会社は日本への進出にあたって、共同出資しないといけないなど規制が厳しく、結果、撤退するなど悪戦苦闘を続けた。
日本での保険事業はとにかく難しかったんやな。
一方で、ライフプランニングをしたり、保険ショップをだしたり、当時の国内保険会社の女性外務員モデルとは異なる斬新な営業手法が展開されたで。
その中でも、「がん保険」のみを「代理店」で販売して拡大していったアフラックについて、次の講座で説明するで~
【3ー6限目】アフラックが「がん保険契約件数No1」の歴史的背景