我々は何しに生まれてくるのか?
以前の記事「この世界はどうなっているの?」では、この世界がどうなっているのかなんて大して重要ではない、と述べました。なのでそこは置いといて・・・
じゃあ我々生物は一体何故?何しに生まれてくるのでしょうか?平和に関係あるのでしょうか?愛に関係あるのでしょうか?考察していきたいと思います。私の考察は単純明快です。生きとし生けるものは皆、「食事を楽しむために生まれてくる」というものです。略して「楽しむため」でも良いとおもいます。なぜそう思ったのか?自分の体の構造ですよ。それ自体がもう答えじゃないの!?って、気が付いてしまったのです。全身これ、絶対食事を楽しむための設計ですよね?手足や指、脳にはもちろん様々な汎用性があるけども、それらも基本的には食事のためにあるのだと思います。中でも消化器官なんてもう、それ以外に使い道ないじゃないですか?どうやら我々人間は・・・汚い言葉ですみませんが「クッソどうでもいいこと」ばかりに毎日気を取られ過ぎてしまって、「食事を楽しむ」という最も基本的かつ、最も楽しく、最も幸福感を得られるはずのイベントがボヤけつつあるのではないでしょうか?他の楽しみ・・・スマホ、ゲーム、スポーツ、ギャンブル、仕事、恋愛ももちろん良いですが、それらすべて「次の食事までの暇つぶし」ぐらいに思ってたらいいんですよ。食事の楽しみを凌駕するほど全身全霊かけて必死にのめり込むから失敗した時にずーっとしんどいんですよ。時には絶望感まで行ったり無駄に膨れ上がった責任感のせいで自〇だって考えるでしょう?
ADHDは「障害」って言われてるけど、責任感こそが人を極端な性格に変えてしまう本当の障害ですよ。悪霊みたいなものです。ADHDは他人が勝手に「あいつおかしい」って決めただけ。他人がそう思わなきゃ障害でも何でもない。でも責任感は競争社会の弊害であり障害だ。後天的に「そういう人にさせられる」のだから。他人からどう見えようと立派な障害だ。
「食事こそが日々最大のイベントである」と理解していれば失敗しても
「まあいっか、さて今晩は何を食べようかな?」ってなります。
ええなります。ならない人は洗脳が脳の隅々まで行き届いているだけです。
すべての楽しみの中でも食事を楽しむことだけは特別な儀式と言っても過言ではありません。子供の頃からの夢をかなえたい気持ちは分かります。でもその同じ目線に食事はない。食事はさらにもっと高いところにある。
デパートでいえば屋上の遊園地。ビルの中にはない。次元が違うんです。
「夢を叶えるためにやむを得ず食いつなぐ」のではないんです!
より美味しく、楽しく食べるために日々ご飯の夢を見るんです!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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