時代が木坂に追いついたのか、木坂が時代に合わせてみたのか。
「はい、じゃー今日もはじめていきましょう」
「よろしくお願いしまーす」
最近、我が家ではある人物の「声」が鳴り響いている。
声の主は、木坂たけのぶ。その男。
主人が在宅ワーカーとなり、リビングで仕事をしながら、彼の音声動画をほぼ毎日聞くようになった。
イヤホンで聞くわけもなく、
スピーカーから堂々と流れる彼の言葉を、
育児休業中のわたしは、生後半年になった次女のオムツを替えながら、もくもくと聞いている。
彼の声を初めて聞いたのは3年前。
主人からなんの前触れもなく届いたLINEに、
音声動画のリンクが貼ってあった。
厚みのある、低いトーンの声はなんとなく安心感を与えた。
勝手に、長身でガタイのいいスポーツ選手かな?と思っていた。
ぶっちゃけ、話の内容は覚えていないけど、
「なんか面白かったな」という印象だった。
…気がする。
3年前のわたしは、当時2歳の長女を保育園に通わせながら、パートで働いていた。
その時代を、ただノウノウと生きていた。
「普通に暮らそう」というのがモットーになっていた。
今思えば、普通ってなんだって話なのだけど。
自分の生き方や、これからについて、
いち早く疑問を感じていたのが主人だった。
彼は、和佐大輔氏を知り、いくつかのオンラインサロンに入会し、さまざまな人と出会っていった。
そんな中で、必然か偶然か、木坂氏(声)とも出会うこととなる。
主人がわたしにわざわざ送りつけてくるような音声は、
「お前に必要な言葉だ、聞け」というニュアンスがある。
なので、素直にわたしは聞く。
そのとき理解できようができまいが、わたしはそのままを受け入れるようにしている。
そこまで感動したり、音声を聞いてすぐ行動をかえたりはしなかったけど、
頭の中に入ってきた言葉たちは、
わたしの中で、じわじわと動きはじめていた。
3年の間、主人の洗脳によ、おっと違う違う(笑)
主人の協力によって、
自分の人生というものを深く考えるようになった。
さまざまな本や動画、人の会話からも学びながら、
何をすべきか、どう行動するべきか、常に考えて過ごすようになっていた。
そして、2020年のコロナ禍。
「コロナ解体新書」と題した、和佐氏と木坂氏の動画も聞いていた。
彼らの話は説得力があって、わかりやすかった。
ニュース番組とは全然違う目線のトークに、
ただただ聞き入った。
その年の9月。
和佐氏がFacebookで「共感がお金に変わる、魔法の授業」と題したサロンを発足していた。
「ほほう、共感がお金に…」
突如はじまったこの無料グループ。
和佐氏がマガジンとか書くのかな?
と、思っていたら、
「え、動画?」
「え、これ木坂さん?」
3年前から、「声」だけ聞き続けて、
脳みそに木坂氏の声と言葉は染みついていたけれど、
「そういや、顔見たことなかったんだっけ」
「プーさんみたいだなあ」
そんな感想とギャップを持ちつつ、
これからの人生、ビジネスに必要なことを彼らは素晴らしい言葉で語っていた。
こんな陳腐な脳みそのわたしにも理解できてしまうくらい、彼らの言葉は分かりやすいのだ。
「理解できた、あたしいけるかも」と勘違いしてしまうほどに。
共感サロンの第一章のエンドに、
リーダーのためのライティング講座が紹介されていた。
「文章を書く」ということに興味があり、
以前別のライティング講座を受けていたのだが、あまり満足感が得られなかった。
さて、彼らのライティング講座はどんなものだろう。
「満足、しないわけがない」
そう思わせるのは、この3年間、わたしが聞き続けた声、言葉たちが脳みそで叫んでいたからだ。
気がつけば、主人ではなく、
わたしが講座を一括払いで申し込んでいた。
今、まだ学んでいる途中だが、何度も聞き返すようにしている。
ひとつひとつは理解できた気になるのだが、
おそらく本質は理解できていない。
本質を理解したとしても、
使えなければもったいない。
学びながらも、文章は書かなければ成長しない。
そして、文章の具体的な書き方もあるが、
抽象的で規模がでかいところがまた難解だ。
並行して、
主人は木坂氏の昔のセミナー動画も見始めた。
数年前にも関わらず、
「この時からこんなこと言っちゃってるの!」
というくらい、今の時代にピッタリ響く言葉ばかりで、驚きを隠せない。
優しい話し方をする木坂氏の音声から入ったわたしには、
オラオラとツンケンする態度もなかなかのギャップだった。
マッチョなビジネスの時代から、物腰の柔らかい時代へ大きく変わったことを実感した。
昔の言葉も、今の言葉も、
本質は変わっていなくて、
「自分」をもっと突き詰めていくこと。
わたしはかなりそれが辛い。
けれども、この数年で脳みそに住みついてもらった木坂氏の言葉たちに、
アドバイスをもらいながら、もっと考えていこうと思う。
毎日が木坂氏の声で溢れている。
でもたまにちょっとお腹いっぱいになって、
ヘルシーな曲を聴きたくなったりもする(笑)
そこは料理と一緒で塩梅か。
木坂氏が、我が家にやってきたのは数年前。
「声」だけの存在だった彼は、
ここにきてついに姿をあらわした。
そのこと自体が、時代の変化とマッチする出来事だったと思う。
「共感」を、彼らは身体をはって証明しているのだ。
やっと時代がおいついたのか、
木坂氏が時代に合わせたのか、
彼に聞いても、
「追いつく追いつかれるとかわかんないけど、
俺はそのとき必要だと思ったことをしてる、それだけ」
とか言われそうなので、やめとこう。
さあ、わたしも
今の自分が必要だと思うことをしよう。
赤ちゃん抱っこしながら、ミルクあげながら。
音声聞きながら。