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どうも、こんにちは。
ベトナム語専攻4年生の新拓也です。note担当も二周目が回ってきたようです。

今回の記事ですが、実は書くことが特にありません。と言うのも、つい最近まで大学の卒業論文に追われていてネタ探しの時間が確保できませんでした。前回のノリで記事を書くにはスマホのアルバムを深く探索する必要があります。また私の番が来たらやることにしますね。

ということで本当にネタらしいネタが見当たらないので、今回は「徹夜」について語ります。さっきちょっとだけ紹介した卒業論文にも関わるのですが、最近でも提出期限が迫っていた時に一度徹夜をしました。体力と引き換えに文字数を稼ぐ最終手段ですが、私はあまり几帳面な性格ではないのでギリギリになって徹夜、というパターンをけっこうやってしまいます。

皆さんはやったことありますか? 徹夜。
大学生以上の方なら経験がある人も多いのではないでしょうか。そして、夜を徹すると書いて徹夜、できる事ならばやりたくないですよね。

私も徹夜自体は嫌いです。強いて好きな部分を挙げるとするならば、深夜にのみ訪れる独特の空気感でしょうか。家族が寝静まった夜、リビングに忍び寄って夜食を漁ったり、何となく点けたテレビでタイトルも分からない深夜アニメを無音で見たり、疲労がピークに達する午前4時ごろに朝刊が投函される音(意外と爆音)で飛び上がったりなど、この時間帯にしか発生しないイベントが盛りだくさんです。

しかし徹夜の本質はそこではありません。我々はポテチを食うために徹夜しているのではなく、何らかの作業を完遂するために頑張って起きているのです。上記のイベントはあくまで「おまけ」です。

なので徹夜は基本的に辛くてしんどいものですが、私が考える「徹夜のしんどさ」はもう一つあります。それは、「記憶の連続性」です。

人間はたいてい夜、寝ます。朝から始まって夜で終わり、その後に待っているのが睡眠という作業です。では、「終わり」の夜と「始まり」の朝の間にある睡眠は一体何なのでしょうか?

私に言わせると、睡眠は「前日の思い出をクリアにする作業」です。その日に起こった様々な思い出や記憶を一度「過去のもの」として頭の隅に追いやり、そして次の一日に向けて新たな記憶領域を確保するための儀式が睡眠であるという考えです。「寝て忘れろ」という言葉が的を射ているかもしれませんね。

では、その睡眠をせずに夜から朝を迎えるとどうなるでしょうか? 答えは簡単です。前日の記憶がずっと引き継がれます。朝起きて、何らかの作業をして、夜中もずっと起きて考え事をしていて、また朝がやってくる……。こうなると1日前からの記憶が現在までずっと続くことになるので、なんだか頭が混乱してきます。つい先日経験したのは、朝ごはんを食べながら「あれ? 朝ごはんちょっと前にも食べたよな……」という記憶の混乱です。睡眠による区切りがないので、前日との記憶がごっちゃ混ぜになるんです。こういうのが起こるのは私だけなんですかね? 

ずいぶん前にとある文化系サークルに所属していたころ、「二連続徹夜」というものを経験したことがあります。60時間ぐらい連続で起きていたことになるので、あの時は大変でした。普通に学校がある日だったので体力的にも限界だったのですが、3日も記憶が連続しているともう無茶苦茶です。1日の間に何回も登校しているような気分になるし、何かを思い出そうとしても「あの出来事は昨日だっけ? 一昨日だっけ?」となります。睡眠が無いだけで頭の中の記憶がてんこ盛りになってしまい、脳がバグを引き起こすんですね。

こういった現象はスマホの「タブ」に似ています。アプリをバックグラウンドでたくさん開いていると、それぞれの処理にコンピュータが気を取られて動作が重くなってしまいます。それを解決するためには、開いているタブをすべて消去する必要があるでしょう。それが人間でいう「睡眠」です。人間の場合は徹夜をすると記憶や活動履歴だけではなく、前の日にあった嫌なこと(負の感情)なども次の日に持ち越してしまうため、余計厄介なことになります。「寂しくて眠れない夜」的な歌詞がよくありますが、寂しさを忘れるためには寝るのが一番です。
特別な事情が無い限りはちゃんと寝ましょう。割とそうした方が、作業効率も上がるかも……。

色々と書いてしまいましたが、さすがに長すぎるのでこの辺りで終わりにします。時計を見ると、現在時刻は午前1時。さすがにそろそろ寝たほうがいいでしょう。ここまで読んで頂きありがとうございました。おやすみなさい。


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追記
卒論終わった記念にゲームを買いました。
寝る前に5分だけやってから寝ます。5分だけ……。

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