ベトナム生活と昇龍会
はじめまして
18期生(1998年卒)の山本涼子と申します。
ベトナム在住長いですし、いつかは回ってくると思っておりましたし、今田先輩のお誘いを断り続けるのも難しいでしょうから、勢いで「はい」と申し上げた次第です。
田舎の高校生だった頃、国公立を受験する生徒は皆無の学校でした。英語は好きだったので外大。当時の英語の先生が大阪外大ヒンディー語卒の僧侶だったのもあったのかもしれません。かろうじて覚えているという挨拶文を書いてくれました。どうせなら、大阪外大を受けてみたいという完璧な記念受験をしました。一応、受けるからにはまぐれでも合格してみたいものですから、メジャー言語はひっかからないだろうというあやふやなイメージに基づき、アルファベットというだけでベトナム語を選びました。入学後に地獄をみるわけですが、そのときは知る由もなかったわけです。情報がないというのも逆に幸せかもしれません。
1996年夏から1年間の留学、卒業の後2000年に再びベトナムに来て、現在に至ります。長いです、既に人生の半分近くベトナムにいることになります。2001年の同時多発テロのときも2011年東日本大震災のときもハノイにいました。今はホーチミン市で、小さな会計事務所で、通訳兼営業兼 v.v…でやっております。
2000年にベトナムに移住(というほど大それた意識はしていなかった)してから、なんだかんだで毎年最低でも1回は帰国できていたので、それほど不便は感じていませんでしたが、ここにきてのコロナ禍。2021年には新校舎へのお引越しが決まっている中、卒業生が集まるという語劇や、ベトナム語検定を受検して校舎や共研ときちんとお別れしたかったものです。幸い、NHKの番組でお引越しの様子を垣間見ることができましたので、遠くからですが、お別れできてありがたかったです。とはいえ、帰る場所がなくなっていく感とはしばらくお付き合いしなければならないでしょう。
そんな寂しさを抱える年齢になっているわけですが、帰国がかなわない(帰国したら、ベトナムに戻ってくるのが難しい)、来越者はビジネス上のお付き合いの方のみという状況にあって、1学年の学生が15人くらいしかいないクラスなのに、入学年の近い世代が何人もそろっているのは有難い限りです。今この文書を書いている7月現在、ホーチミン市はほぼロックダウン状態で会うことも叶いませんが、状況が落ち着いていた昨年9月には、当地で起業している同期生が経営するカカオパークに遊びにいって実際にカカオの実がチョコレートになるまでを見学したり、忘年会したりで定期的に会えています。
BINON CACAO PARKにて
それもこれも、単なる偶然とはいえ、(良い意味で)変わった人が集まるベトナム語を選んだおかげと感謝しております。これからも、変わった人たちとの交流を楽しみにしてますので、コロナ禍が落ち着いたら遊びにきてください。(自分は普通だと思っている方、実はそれなりに変わっているかもです。私自分ではごくごくフツウだと思っていたら、S先生に「変わっている」というお墨付きをいただきました。)
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