ベトナム語劇の思い出 ~1992年秋の語劇祭での華麗なる復活の舞台裏~
OBOG担当の今田と同期入学(残念ながら卒業は1年遅れ)の岡田(現姓:安部)真由美と申します。
今田と私が大阪外国語大学外国語学部タイ・ベトナム語学科ベトナム語専攻に入学したのは、元号が昭和から平成に変わった1989年(平成元年)4月のことでした。当時の出席番号順ではイマダ・オカダ・オカベという苗字の3人が続いており、ベトナム人の客員教授の先生方には発音しづらいようで、「イッカダ~」「イッカベ~」(この小さい「ッ」もポイント)と、誰が名指しされたのかわからないカオスな状況の日々でした。そんな楽しい時期も束の間、自称「神戸のお嬢(お冗という説もあり)」だった私は、片道2時間の通学を言い訳に、予習復習不足であえなく1年目で留年してしまいました。
でも、転んでもただでは起きないのが神戸のお嬢。4年生になった今田が卒論制作に励んでいた頃、3年生で大学生活に余裕をかましていた私は、受験案内に掲載されていた語劇祭にあこがれを感じていました。幼少の頃から日本舞踊(藤間流)を習っており、しかも中学・高校と演劇部所属だった女優魂に火がついて、ベトナム語学科でも語劇に挑戦しよう!と一念発起。後輩たちに人望のある同期留年組の岸元優ちゃんをそそのかして監督に祭り上げ、1~2年生に語劇参加を募り、私自身は演出家としてプランを練るところから始めました。
まず、メインキャストは1~2年生ということもあり、ただでさえ大変なベトナム語の授業があるのに、余分な負荷をかけるわけにはいかない、と自らの留年経験を踏まえて、ベトナム語科の学生なら誰もが知っている「海上の神殿」にしようと発案。それを舞台劇として間延びしないように進めるには、どのような脚本にしたらよいか考え、ナレーション部分は、お母さんが子供たちに絵本を読み聞かせる形式で、登場人物も増やして一石二鳥の演出に。鯉は鯉のぼりをマーメイド調に下半身に纏うイメージ。虎はユーモラスにうる星やつらのラムちゃんをイメージしたコスチュームで。蜜柑の木は大道具ではなく人間がしょんぼりうなだれているところからシャキッと元気になる感じ(インスピレーションは「ガラスの仮面」の紅天女の梅の木)・・・と、こんな私の妄想を取り入れて、みんなが持っているLL教材をアレンジして脚本にしてくれたのは、当時院生で芸術関係にも造詣の深い鈴木康夫先輩でした。
キャスティングは私の演出プランのイメージに合う1~2年生をそれぞれ当て込みました。難航したのはやはり負担の大きい主役のanh hoc tro ngheo。最近のベトナム語劇ではダブルキャスト・トリプルキャストにして一人にかかる負担を軽減させていましたが、当時はそこまでの考えが及ばず、セリフの多い主人公anh hoc tro ngheo役や、ca chep役には、かなりの負担をかけてしまったのではないかと、今更ながら申し訳ない思いです。それでも、みんな1~2年生とは思えないほど、難しいベトナム語のセリフを覚えて頑張ってくれました。しかも、1年生は2年生で習う範囲を先取りして知ることができて、語劇参加者は留年の恐怖を免れたのではないでしょうか。
Anh hoc tro ngheoは、最初は少し頼りなく感じたけれども、その迷える姿が役にピッタリで、素晴らしいHEROとなってくれました。
ナレーションの役目を担う絵本を読み聞かせるお母さん役は、1年生ながらおっとりした包容力とあたたかい雰囲気で、優しいママになりきってくれました。
絵本を読んでもらう娘たち二人は、1年生の初々しくてかわいらしい雰囲気を大いに発揮してもらい、幕間のナレーション部分に、癒しの場面を作り出してくれました。
村の長老役も、蜜柑の木の持ち主の老人役も、口のきけない娘を案じる老人役も、実際は20代の大学生という若さながら、苦悩する老人になりきってくれました。
口のきけない娘役は、自称神戸のお嬢たる私が認めたお嬢様。儚げな雰囲気を醸し出し、アオザイが似合う、映えるヒロインでした。
ca chep役は、1年生ながら、すばらしい発音で長いセリフを流暢にこなしてくれて、つぶらな瞳がキュートで、金魚のようなかわいさでした。
そして、虎役の3人娘は、虎柄(ヒョウ柄?)の衣装がとても似合い、迫力満点の風情で、とても神様とは思えない庶民的なキャラクターを、期待以上に表現してくれました。
他にも、縁の下の力持ちを担ってくれた裏方さんたちをはじめ、先輩・後輩が一丸となって(面白がって)協力してくれたことで何とか形になり、無事にベトナム語劇を復活させることができました。
30年近く前の思い出ですので、思い違いや失念も多々あるかと思います。これを読んで、当時のメンバーが更にそれぞれの思い出を追加投稿してくださるとありがたいです。