保育士を目指した理由①保育難民の恐怖
0歳児保活で破れ、待機児童になりかけたというのは、個人的には大袈裟ではなく生死を分けるくらい衝撃的な出来事でしたが、当時はまだ育休の2年目延長の制度もなく、0歳保活に失敗するというのは世間では良くある話でもありました。
ではなぜそこから保育士を目指そうと思ったのか?振り返ってみたいと思います。
●仕事は何でも辛いという諦め
私が新卒の頃は就職氷河期と言われた時代で、就活は落ちまくり、正直やりたい仕事など考える余地もなく、拾ってくれるならどこでもいいと内定をくれた会社に総合職として就職しました。
この最初の会社は勤怠管理の概念がないなかなかのブラックで、月間休日は4日、平日は23時まで残業(もちろんサービス残業)という環境でした。
このあと転職するのですが、その会社も始めこそ定時でしたが、徐々に業務が増え、妊娠発覚前にはやはり月間休日4日、月間残業は150時間を超えていました。
どちらの会社も体力的にはしんどかったですが仕事自体は面白く、「辛いのはどの会社でも同じ」と割り切っていました。
●保活に破れた衝撃
0歳の認可保育園落選通知は、社畜だった私には死刑宣告に近いものでした。
0歳の4月で入れなかったら年度途中で入れるわけがない。1歳の誕生日が来たら育休が切れる。会社をクビになったら?預ける先がない乳児がいて、転職活動なんてできない。そもそも採用されても保育園に入れなかったらコンビニのバイトだってできない。
『預けないと働けない』
筈なのに、
『働いていないと預けられない』
しかも
『働いていても預けられない』
という認可保育園の矛盾に、やり場のない憤りを覚えました。
この時期、無駄とは知りつつ市役所の子ども育成課に相談しに行ったのですが、「ご自身で預け先を確保していただくしかない」という非情な回答を頂いて終わりでした。今でも思い出すと涙が出そうになります。
●どうせ一生働くなら、意義のある仕事をしたい
結果的に、4月にたまたま電話した認証保育園で空きがあり、復職することができたのですが、この時の無職になるかもしれないという衝撃と、需給バランスがこれ程釣り合っていない市場が日本にまだあったのかという驚きは、ずっと心に残っていました。
働いていた会社はどちらかというと堅実な成長分野のサービス業で、社会的なニーズは高いのですが個人的には興味は持てず、どこかで仕事だから(興味が持てなくてもやるしかない)と割り切っていました。
そうやってある意味諦めの境地でいたつもりでしたが、保活に破れたことで、これほど必要とされるサービスが充分提供されていないことを知り、どうせ一生働くなら、本当に必要とされる、自分も意義を感じることができる仕事がしたいと考えるようになりました。
また、出産まで意識したことがなかった男女格差について知ったことも、大きな動機になりました。
長くなってきたので続きは別記事にします。