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子どものありのままを受け止められないのはなぜか?

毎日保育園に送迎しに来るお母さん、お父さん方と、保育士が接する時間は決して長くありません。
特にこれから仕事に向かう朝は、家での様子を聞き、体温を測り、行ってらっしゃーいと手を振るのでほとんど精一杯です。
この短い時間に親御さんが、子どもにかける言葉を聞いていて、あることに気付きました。


子どもに小言を言わずにいられない

このごくごく短時間に、必ず子どもに「指示」や「小言」を言う親御さんが、少なからずいらっしゃいます。

朝は、「ちゃんとごはん食べるって約束ね」「指なめないで」「リュック引きずらないで」

帰りは、「先生にきちんとごあいさつして」「何で◯◯食べられなかったの」「(泣いていると)何で泣いてるの、声大きいよ」等。

自分自身の小二の娘の子育てを省みても、できることや長所より、できないことがどうしても目につき、他の子と比べて運動が苦手だったり、友だち付き合いがちゃんとできているのか心配になって、気付くと小言を言ってしまいます。

なぜ、子どものありのままを受け止め、認めて満足することができないのでしょうか?

遺伝と脳科学の本から、原因を考えてみました。

理由1.人間は子育てを通じ、遺伝子の利益を最大化するようプログラムされている

以前の記事でも紹介しましたが、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」には、母親の遺伝子上の戦略について、下記のように記されています。

母親は、その遺伝子のコピーを増殖させるべく、あらゆる努力を払うようにプログラムされている。

つまり、母親はより多くのコピーを増殖(=たくさん子孫を残す)ために子どもが必要な能力や資質(社交性や学力、意欲、自律心等々)を得られるよう、努力するよう本能付けられている、ということです。

子どもの保育園での様子や得意不得意について一喜一憂し、子どもに色々と指図してしまうのも、このためと考えると納得が行きます。

理由2.人間の幸福感は長続きしない

多くの親にとって、子どもが生まれる時の第一の希望はただ無事に生まれてきてくることだと思います。
希望通りこの世に我が子が生を受けて、なぜそれだけで幸福だと満足できないのでしょうか?

アンデシュ・ヨハンセンの「ストレス脳」には、こうあります。

脳は私たちに生き延びるて遺伝子を残せるように感情を使ってその人を行動させる。

幸福感というのは消えてしかるべきなのだ。あの仕事に就けさえすれば、新しい車さえ手に入れば、給料さえ上がれば、人生に満足できるはずだと思う。しかしどれを実現しても、幸福感は驚くほどすぐに新しい願望と入れ替わってしまう。

当初の望み通り子どもが生まれても、今度は成長曲線の通りすくすく育つか、発達の目安通り話したり理解したりできるか、友達ができるか、親の言いつけをきちんと守るか…等々。

何かが叶えばまた次の何かを達成したいという感情が勝手に生まれ、私たちを行動させようとします。

子どもの人生の行く末が親にとっての最大の懸念事項になること、何を実現しても幸福感は長続きせず、新たな願望が生まれてしまうこと。
これらは、親と子どもを時に苦しめますが、遺伝子によってルール付けられた逃れられない人間の性質です。

そういう風に本能付けられていると諦めてみる

子どもに対して
「どうしてこんなことができないのか」
「◯◯ちゃんはあんなことまでできるのに」
また、
「どうして子どもにいつも小言を言ってばかりで、優しい親になれないのか」
等、子育ての悩みは尽きないですが、

「そういう風に本能付けられている」

と諦めてみると、少し気が楽にならないでしょうか。

参考にした本は↓です。

利己的な遺伝子 40周年記念版 https://amzn.asia/d/elNvoDF

ストレス脳 (新潮新書) https://amzn.asia/d/j9EGrWw


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