読書日記「去られるためにそこにいる」
娘が今年小学校に入学して一番初めに感じたことは、「分からないことが増えた」ということです。
何度言っても学校から傘を持って帰ってこなかったり、色鉛筆が筆箱に入っていたり、その筆箱に入学早々消えない落書きをしたり…等々。
「どうして?」と聞いても明確な返答はなくやきもきしていたのですが、そのなかで、「こうして子どもの事が段々分からなくなっていくのが子育てなのかもしれない」とも思いました。
新生児の時は泣いていれば眠いのかオムツが濡れているのかお腹が減ったのかで、ある意味あのときが一番娘を理解していて、成長するにつれ親には理解できない、娘しか知らない領域が増えて、自然と子離れ、親離れしていく。だから多少の「分からない」ことも仕方がないと、思うようになりました。
この本の「去られるためにそこにいる」というタイトルは、そんな感慨をそのまま表していて手に取りましたが、自分の子育てや保育の姿勢を省みる事ができた良著でした。
冒頭、子どもの(大人にとっての)問題行動に悩む親とのカウンセリングをしていると、「親は、自分のこだわりや経験に基づいて、子どもに種々の小言や指示を出し続けている」という指摘が目に留まりました。
例えば、子どもは夜9時までに寝かせなければならない、帰ってきたら脱いだ靴を揃える、等。
試しに一年生の娘に自分がどんな声かけをしているか意識してみると、確かに大半が小言と指示でした。(次なにするの、宿題やってからだよ、テレビ見る時間なくなるよ…etc. )
学校や学童で荒波に揉まれる娘が家では少しでもリラックスできるように、親の言うことを聞かせること自体が目的のようなこだわりをなるべく捨てて、親も子どもも居心地のいい家庭にできればなあと思いました。