「保育観」という高い壁
「保育観」という言葉をご存じでしょうか?
おそらく保育園で働く方のほとんどが知っているであろうこの言葉を、私は保育園に転職して初めて知りました。
保育に対する保育士の価値観、子どもへの関わり方の土台となる考えを指す言葉ですが、その「保育観」がこんなにも保育士によって異なるということが衝撃でした。
保育士になる前、私自身の娘の子育ての指針となったのは佐々木正美さんの「子どもへのまなざし」で、乳幼児期の子育てで大切なことは子どもの要求を全て受け入れることだ、とありました。
また、保育士を目指すようになって目を通した「保育所保育指針(平成30年改訂版)」には、保育の方法の第一に、「子どもが安心感と信頼感をもって活動できるよう、子どもの主体としての思いや願いを受け止めること」とあります。
同じく保育士資格の勉強で学んだ子どもの権利条約には、児童の「意見表明権」が明記され、小さな子どもでもその意見は「児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるもの」としています。
保育園で勤務する前までは、こんな保育のド素人の母親が付け焼き刃で勉強した程度のことは、当然現場の隅々まで周知され、子どもの意見や気持ちを尊重した保育がなされているのだろうと、能天気にも考えていました。
自分が甘かったことは、最初の1ヶ月で痛いほど思い知ることになりました。
二つ前の記事で書いた子どもの呼び捨てを初めとして、お茶を全部飲まない子を飲み終わるまで椅子に座らせたり、「○○しないで」等の制止、否定の声かけを頻繁にしたり(しかも不必要に大きな声で)。
また、発達がゆっくりだったりこだわりが強い子どもにも、自分のペースを押し付けて譲らず、挙げ句「ママが甘やかしすぎたのね」等と言います。
主に50代のベテランの保育士によるもので、何度か主任や園長から注意されるのですが、しばらくすると元に戻ってしまいます。
保育園の子どもが自分の(勝手な)指示に従わないと、「自分の子どもならはたいちゃうけどね」等と言ったこともあります。
恐らく、そうやって育てられてきて、そうやって自分のお子さんも育ててきて、彼女にとって保育とは「子どもに大人の言うことを聞かせること」なのだと思います。
これが私がかつて従事していたオフィスワークなら、はっきり間違いを指摘できます。
何か手順が非効率だったり、作成したデータの数字が間違っていたり、費用が他の手段より合理性なく高かったりするのであれば、その事実をもって訂正を指示すればいいだけです。
でも、保育には明確な正解はありません。
「この子のこんな場面にはこのアプローチ」
という「答え」がありません。
言葉を選ばずに言うと、実際に目の前にいる子どもが、保育士の接し方で5年後、10年後、どんな風に変わるのか、複数の一卵性双生児を別々の方針の園で育てて追跡調査でもしない限り(そんな実験は倫理的に許されないでしょう)、化学の実験のように明確な因果関係は証明できません。
(児童虐待に該当することは別です)
入職して数ヵ月のペーペーの立場で「もっと違う声かけはないですか」と言うこともできず、悶々としながら、自分のクラスの子どもに影響がないようにすることしかできず、5月の段階で一度は辞めようかと思ったこともありました。
結局、彼女の保育観を誰も変えられないまま、私が入職して2年目にその保育士は辞めてしまいました。
正直なところ、当時はもうあの声を聞かなくて済むと思うととてもほっとした反面、自分が正しいと思い込んでいる保育観の不適切な部分に気付くことがいかに難しいか、またその不適切の芽は誰にでも(もちろん私にも)潜んでいるということは、まだ気持ちに重くのし掛かっています。