最高の母親とは?
母親のみならず、父親としても同じことが言えると思います。
母親業、父親業をしていると多分殆どの「親」は感じたことあるんではなかろうか?
「もっと良い母でなくて申し訳ない」
「もっと良き母にならないとこの子が可哀想」
「何にも出来ない母でごめんね」
「怒りん坊のママじゃ無い方がいいよね」
しまいには
「もっと良い母がいれば私なんて…」
これは父でも同じでしょう。
というか、
「子どもと接する時間が長ければ長いほど」
そう感じる率は高いはずです。
もっと怒らないママ。イライラを見せないママ。大きな声を出さないママ。子どもの異変に即気がつくママ。
1、No one perfect
そのまんまの意味で完璧な人など居ません。そりゃ、理想を言えば大きな声も出さず四六時中笑顔で神対応できる人。もしかしたらいるかもしれませんけど、普通に「無理」です。大きな声出すし、異変が進行してから気がつきます。
考えてみてください。常在ママでいるということはいつふとしたキッカケで死ぬかもしれない赤子や何処にでも飛び出していく子どもを彼らが起きている間はもちろんのこと、彼らが寝ている時ですら見張らねばなりませんし、いつ終わりが来るともわからない「寝たら負け」ゲームをしているようなもんで、一瞬「落ちた」瞬間に「ソレ」が起こるかもしれないとか、1時間交代制を導入してもキツいはず。
少し子どもが大きくなって言葉のやり取りができるようになっても大袈裟ではなく「毎日毎日10回くらい」を100日繰り返しても「ダメ!」を繰り返す子どもたちに優しく言うこと聞かすとかどんな無理ゲーですか?
「◯◯しないともう◯◯あげないからね!」
とか脅迫みたいな言い方ではなく、別の「言い換え」にしましょう。
うん。うん。わかるよ。その通りだよ。私もわかってる。でも、1日10回を100日繰り返していたらそんな時も当然ある。
だからno one perfectなんですよ。誰にも出来ないから。
2、2通りある良きママの「やり方」
一つ目は、最初からパターン毎により良い「言い方」や態度を続けること。事前の心構えと予習と、「一呼吸」置く。が要求されます。事前の役作りがものをいいます。自分でいたら負けです。
二つ目は、事後のフォローアップを丁寧にやる方法。感情的に怒ったり怒鳴り散らしても事後に抱きしめながら「大きな声で怒ってごめんね。」と子どもと自分のフォローアップをする方法。
どちらが良いかは個人の性格によるでしょうが、感情のコントロールが下手な人は後者をオススメします。
一方で、勉強が出来て予習がしっかり出来ていた優等生タイプは前者が向いているでしょう。
ちなみに僕は後者です笑
前者を選ぶ方は「日頃予習と役作り」が肝!
後者を選ぶ方はアフターフォローのやり方が肝です。
アフターフォローの際の注意点は下記。
・まず自分がごめんなさいをゆっくり目を見て行う
・必ず抱っこしながら
・子どもは必ず「僕も私もごめんね」をしてくるので自分のみが悪者にならず、「お互い◯◯をきをつけようね」と直すとこを1箇所ずつ確認すること
特に最後が最も肝です。しかも子どもに自分が悪かったと思う点を自分で考えさせて答えさせることで単に
「謝れば許されるから許してもらうために謝る」
⇨
「何が間違ったのか?」を自分で感じてその点について謝る
という前者はむしろ「バカをつくる教育」に対して後者は「賢い子をつくる教育」と自身の向上につながります。
これらを自分なりに何とかクリアして少しずつ成長したらより良い母、父に一歩近づけるのは間違いなしです。
3、最高の母親とは?
これはうちの奥さまの話です。簡単にまとめると彼女はフィリピン人です。僕がフィリピンに暮らしている時に会いまして結婚後に日本に来ました。日本語は日本に来てから学び、日本語検定3級レベルになりました。
彼女はスタンダードがまるで違う日本に暮らして10年になります。その間、今でもと言えますが、様々なタイプの悪意ある差別や多様性の意味を知らない日本人の悪意なき差別を受けています。
2024/7/1現在で9歳、7歳、2歳の男の子三兄弟でして、学校からのプリントの読解でも一苦労。病院も最近は慣れましたが、大事な時は僕の同行が必要。
周りに友達はほぼ居らず、会えば話すママ友がいるくらい。
現在は感情がダウンするADHDになりました。元々その気はあったのですが。
要は自分は何一つ満足に出来ない。本当に知能が低いバカだと思い込んでいたのです。
自分で見つけてきた英語対応可能なクリニックにて通院、カウンセリングを受けて投薬もしてます。なのでその分は落ち着いています。
最初の受診時にIQテストも受けました。結果はむしろかなり高いレベルでした。とはいえ、沢山の種類のIQテストがあり、そもそもIQテストは大人向けのものではなく子ども向けのもの。それを承知の上で一つの参考として受けました。
自身の自己評価が低いために、生活の全てが恵まれていてもそれを享受することに罪悪感を感じます。旦那さんの努力はかなりの部分で逆効果に近いパターンです。
これは長い時間がかかるので僕はダメ出しを10%くらいに減らす(無くしてはダメだと思う)と同時に抱っこ時間を増やしてます。
良い母
の話が僕らの中でありました。もっと良い母は沢山いるでしょう。料理が上手い。怒らない率高い。などなど、各カテゴリで上を行く人ばかりとも言えます。
つまり、「比較対象」があって「より良い」があります。でも「もっと良い母を」と考えてる時はイメージで話しており、「比較対象」がないことが殆ど。それって自分のイメージし得る最高レベルと自動的に比較してるので必ず負けます。
つまり、「もっと良い母」は相対的なもの。
対して、自己肯定感が低い母は「絶対的なもの」としての「もっと良い母」をイメージしてます。ここに不幸がある。
一方で、僕はこう考えています。
「もっと良い母」になるのは中々大変だけど、「最高の母」にならすぐになれると。
「最高」とは、トップオブトップ。唯一無二レベルです。比肩する者はなし。
それは「貴女」もし、この記事を母が読んでいたらそれはまさしく最高の母は貴女です。
何かがクソでも文句なしに最高の母は貴女です。もしこの記事を父が読んでいたらこのことを心に刻んでください。
この「最高の母」先程も言いましたが比肩する人間はおらず、誰と比べてもベストオブベストママです。
誰かと比較するのが横軸であれば縦軸があり、それは子ども。
誰かとかイメージの中にしか存在しないママと比べてではなく、「子どもにとったら」母は貴女しか存在せず、唯一無二であることから世間的にどんな母であろうが、貴女が最高の母です。
最高ですからライバルは常に「今この瞬間の自分」を次の瞬間以降に超えることしかあり得ません。
感情に負けたら次は勝つ。
子どもの立場からしたら存在してるだけで唯一無二。常に最高なんですよ。
最高の存在ともケンカできる子どもって最強の可能性に満ちてると思いませんか?