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子育て中に湧き上がる実感や自分の母や年配の方々のこと。

子育てしていると様々な人に会う。

子供にキツイおばさん。じいさん。

子供に優しいおばさま。じいさま。

子供が好きな習い事教室の先生。

子供を生活の糧としての視点が「子供が好き」よりも上回っている習い事の先生。

それぞれの人生なので是非は無し。

しかしながら僕にも人生があるので僕の視点から言えばやはり子供に優しくない人は嫌い。どれだけ偉い人か知らないがクズだと思う。

子供はうるさい。うるさいのが子供。適度にうるさいのはむしろ活気。ウエルカムだ。

でも過度なものはちょっと親を疑う。しかし、このどこからが過度でどこまでが適度かは主観によると思うが、一例を挙げてみる。

先日、妻さんがニトリにお買い物をしに行った時のこと。

0ちゃんをベイビーカーに乗せたママが我が子が火のついたように泣いても「全く気にせず」買い物をゆったりとしていた。バカなのかな?と。

赤ちゃんが泣くのはパターンが決まっている。
・眠いけど、寝る仕方がよくわかってない(トントンしないと寝れない)
・オムツ
・お腹空いた
これらが大半。

しかも、赤ちゃんは泣くのを放置していると憤怒痙攣などになる場合がある。白眼向いて泡吹きながら痙攣する。即、抱っこして落ち着かせてしっかり呼吸させてあげればよい。憤怒痙攣は泣き過ぎて呼吸を忘れちゃうから起こる。
(※痙攣が始まったら時間を覚えておき、5分以内に治れば心配なし。5分以上、10分とかなら即救急車を呼ぶこと。)

赤ちゃんは泣くしか表現方法がない。手遅れにならないことを祈る。

また、明らかに周囲に迷惑レベルでも気にしないパターンの親はダメ。アタマも悪い。周りに迷惑かどうかよりも、子供をケアしてるか否か?そこが僕の適度と過度の境界。

「赤ちゃんの泣くのも放っておかないと、いつでも抱っこしてもらえると思ってクセがつく」

というバカな理論もたまに耳にするが、自分でやりたいことができる大人じゃないし、赤ちゃんだし。

近所にたまにいる老害なおばさんやおじさん達。子供は静かにさせなさいだとか、あーだ、こーだを偉そうに指図してくる。そういう時には僕の場合はハッキリと「子どもは元気な方が良いので」とはねつける。

一応誤解のないように言っておくと、公共の場では常識の範囲内で騒がせないし、騒いでいる時には教えてる。というか、忍者に見つかったら負けゲームで静かにさせてる(パパの架空の忍者に見つかったら負けという超パパ裁量の独裁ゲーム)

子供に優しいおばさまはママさんにも優しい。目を細めてくださる年配の方々は勝手に幸せそうに見える。

自分が子育てしてる時に嫌な思いしたんだろうな〜とか、その時にも優しい人がいて、救われた気持ちになったりしたのかな?とか勝手に妄想を膨らませて勝手に涙ぐむことすらある笑 自身の子供も大層愛してらっしゃるのだろうと。

チーム老害は全てその反対に見える。不幸せにしか人生送れないんだなぁ〜とか、やられて嫌だったことは人にやるタイプの貧しい心の貧乏人(常に満たされず常に乏しく感じる人のこと)だから相手にしないでおこうと。それでも住まいのお陰で距離感近い場合は挨拶だけはしてうるさいこと言ってたら適度にグーの音も出ない反論で刺しつつ、笑顔でいとく。そうすると「面倒な人」「変な人」ポジが確立されて近づいてこない。国防と同じで、こちらも腹括って闘う姿勢は持っておかないと押し切られるように世の中は出来ている。

子供の習い事の体験に行くと、子供に対する「温度」が伝わってくる。

「自分が教えないといけないこと」をやってる先生と「子供に伝えたいことを子供に伝えている先生」とがいる。

前者はどんなに内容良くとも幼児期には通わせない。幼児は五感が我々大人の10倍はあるから低い温度を伝えたくない。そして、低い温度は時に深刻な恐怖を与えるから。怒鳴ろうがそこに温度、愛があるなら平気。10歳くらいなら低い温度感でも内容で選ぶ率も上がってくる。

老害ははよ消えてほしい。そして自分も老害になる前にさっさと表舞台からは消えてフラフラ旅でもしてようと思う。

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