何者として死にたいの?
いつもアタマのどこかで取れないが痛まない小骨のように引っかかっていながら正面から目を向けてないこと。
10代、20代前半戦は何とかして金を稼ぎたい欲求や女の子にモテたい欲求が多数決を占めて終わってしまった。
20代後半から「人並み」なサラリーという名の収入に慣れはじめ、そこでもやはり他人の収入の多寡に囚われていた気がする。
そこから人それぞれそれなりに人生の経験値を稼ぎ、レベルアップしたのか妥協前提のレベル上げ自体を諦めたのかわからん時期を経たり、ささやかなのかデカいのかわからん野望のために邁進したりして気がつけば50歳まで秒読み段階。
子どもが出来て「我が我が×1000000000」の人生にほぼ初の「異物」が参入してきて「あれ?自分の人生の主役時期は終わったかもよ…」という思いに駆られる。
若かりし時代と脳内は大差ないのに身体ばかりが老いてゆく。
するとふと無性に!「焦り+しゃーないか的諦観」に沈められる。
一言で言ってしまえば
「あれ?僕の人生の価値って…???」
しかし、年もそれなりにとっているから今から10代の頃のような挑戦は出来んしな〜と。10代の頃とて然程の…というか、挑戦らしい挑戦などしてないわけだが…
中高年は「何者かで在りたい」欲求が最高値を迎えるのではないかな?特に男性は。
何となく「終点」が見えはじめた愛しい我が人生。
小説や本でいつだったか読んだような人生…「こう在りたい」と感じたような人物のような人生になれたのだろうか?
いや、答えずとも知っているからこその憔悴感だろ??
何となく…それでもハッキリと「終わり」を意識し始める。だからつい、偉ぶってみたり、過去の盛りまくった栄光のお話をしてみたりする中年。
僕もオマエラの気持ちが少しはわかる気がするよ。
残り時間も大してない、ちゃ、ない。それでもよ。それでもどうやって生きるか?死ぬか?はまだ選択肢が手の中に残っている。
だから中高年よ。諦めに沈むのは早い!団塊ジュニア世代と呼ばれた我々の同志よ!
やれるだけやり切って死んでやろうよ。何が遺せるか?何者になれるかなんかまだわからん。
自分が成したことなんて大したことはないし、これからも大したことは遺せないかもしれん。
でも次世代にカッコいい背中は見せておきたいじゃないか!?
どうするかは個人次第。
僕はいくつかは遺せるというささやかな自負はあるがまだこれからよ!
人間なんてそもそもが価値なんか無いし、生まれてきた価値もないし、理由もない。
理由も価値も自分の動き、生き方次第で周りにつけてもらうもんだ。いい歳こいて自分自身に価値があると思ってる中高年は馬鹿だ。
でもまだだ。まだ日は沈み切ってない。夕暮れから日が沈むには結構時間がある。