子どもの成長目安「おしっこ」と大人の皮を被ったガキ
僕的なインディケータとしてあります。男の子ですけど。
成長段階的にまず
1、オムツがとれる
次に
2、ズボン全下げじゃなくて半下げもしくはチャックを使う
2.5、半下げの場合、尿道が圧迫されて撒き散らすようでは甘い
3、撒き散らさない+後始末できる
3は大人でもかなりの人が出来てない気がする。公衆トイレ見てるとw
そんな話を知人としていたら4があるそうだ。
4、嫁に言われて毎回座っておしっこ
な、なるほどwww
僕は立ってしたいけど、毎回フチを拭いてますw
▪️子育てを通じて所謂「大人」ではないことに気がつく
これって皆あるんじゃないかな?偉そうに子どもに言ってることって結構自分が出来てない。出来てない自覚があっても子育てでは言わんといけない部分はあるけど、僕の場合は「パパも苦手だから一緒にできるようになろうぜ!」にしてます。
自分が子ども、若い頃にイメージしてた「大人」とは随分違う幼稚なままの自分。
そこを気にせず気ままに振る舞い、都合良い時だけ年齢を盾に使う。
まあ、みっともない。
年を重ねたのは自分であって、今の自分は今までの自分の積み重ね。より良き大人になれるかは若い頃からの克己心の積み重ねでしかない。
仕事柄、若くしてリタイアした人を沢山見てるが、リタイアした瞬間に頭を使わなくなったり、女遊びに走ったりする人は結構多い。金、女。これらに走るって貧しい人生送ってんな〜と見てます。
しかしながら、僕も40歳の時に子どもを授かり、比較的高年齢で子育てしてるお陰で気がついた事が沢山沢山あって、子育てがなかったら道を誤っていたかもしれない。
僕は一度37歳でリタイアしており、その時は遊びまくった。遊ぶことにはすぐに飽きてしまった。でも楽しさは覚えている。またあの時のように遊びたいとは思わないけど。
子育てはなかなかのカオス。狂気の動物園のようだ。飼育員さんも狂気だから。
でもそんな子育てに沢山救われた。
自分がどんな状態であろうと子どもたちが僕の方を見て「ニカッ!」と笑う屈託のない笑みを見ていると何かが僕の胸に刺さり、もう一踏ん張りの燃料になるのだ。
あの屈託のない笑顔は死ぬまで脳裏に焼き付いていくだろうな。と思う。